モースの贈与論

モースの贈与論

マルセル・モース(1872–1950、フランス)は『贈与論』(1925)において、贈与には返礼が義務づけられているのだと指摘します。そのシステムは物と霊との二重性によって作動します。モースは物と霊によるそのシステムをニュージーランドマオリ族の言葉から解き明かします。

 

物の霊、特に森の霊や森の獲物である「ハウ(hau)」について、エルンスト・ベストのマオリ族の優れたインフォーマント(情報提供者)の一人、タマティ・ラナイピリが、全く偶然に、何の先入観もなしに、この問題を解く鍵をわれわれに与えている。「私はハウについてお話しします。ハウは吹いている風ではありません。全くそのようなものではないのです。仮にあなたがある品物(タオンガ)を所有していて、それを私にくれたとしましょう。あなたはそれを代価なしにくれたとします。私たちはそれを売買したのではありません。そこで私がしばらく後にその品を第三者に譲ったとします。そしてその人はそのお返し(「ウトゥ(utu)」)として、何かの品(タオンガ)を私にくれます。ところで、彼が私にくれたタオンガは、私が始めにあなたから貰い、次いで彼に与えたタオンガの霊(ハウ)なのです。(あなたのところから来た)タオンガによって私が(彼から)受け取ったタオンガを、私はあなたにお返ししなければなりません。私としましては、これらのタオンガが望ましいもの(rawe)であっても、望ましくないもの(kino)であっても、それをしまっておくのは正しい(tika)とは言えません。私はそれをあなたにお返ししなければならないのです。それはあなたが私にくれたタオンガのハウだからです。この二つ目のタオンガを持ち続けると、私には何か悪いことがおこり、死ぬことになるでしょう。このようなものがハウ、個人の所有物のハウ、タオンガのハウ、森のハウなのです。Kati ena(この問題についてはもう十分です)」。(マルセル・モース(吉田禎吾・江川純一訳)『贈与論』)

 

 

これを図式化すると、タオンガは品物です。タオンガはAからB、さらにCへと贈与されます。贈与に対する返礼である別のタオンガは、逆コースをたどってCからB、さらにAへと返されます。ある品物がA→B→Cと所有者を変えるのに対して、返礼である品物はC→B→Aと所有者を変えます。AとBとのやりとりだけでしたら、さほどむつかしい問題ではありません。贈り物に対して返礼があるだけなのです。しかし第三者であるCがこの贈与交換のリンクに入ると、問題はややこしくなります。CとAは直接の贈与交換の相手ではありません。それなのにCも贈与交換のリンクに入ってくるのです。

その謎を解く鍵は、タオンガの霊であるハウにあります。ハウは森の霊とされていますので、異界からもたらされたものだということができます。そして個人の所有物やタオンガなども同じハウとされています。つまりすべての物には、異界からもたらされたハウが憑いているものとされているのです。ですから物の贈与は、同時にハウの贈与でもあるわけです。ハウは森の霊ですので、ハウをとどめておくことは不吉なこととされます。ですからハウは別な品物に載せて元の所有者に返さなければならないのです。モースは品物の流れとは逆行するハウの流れを、ハウが帰りたがっているのだとしています。「要するに、ハウは生まれたところ、森やクランの聖地、あるいはその所有者のもとへ帰りたがるのである(モース前掲書36ページ)。

ハウが異界からもたらされた霊であり、物自体は消滅してもハウ自体は消滅させられることはないので、ハウはどこまでも贈与交換によって人間関係を延長させます。そしてハウが森の霊であるかぎりにおいて、返礼は必ずなされなければならないのです。もし返礼を怠る場合には、ハウは返礼を怠るものを死に至らしめることになるのです。

ハウを大宇宙からもたらされた富、タオンガを人間どうしの小宇宙での富とした場合、小宇宙の富を司るものは大宇宙からもたらされた霊だということができます。そして大宇宙からもたらされた霊は、小宇宙での富を停滞させることを好みません。小宇宙での富は循環しなければなりません。さもないと大宇宙の霊から手痛い報いを受けることになるのです。

 

 

 

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イラストは『社会学用語図鑑』(2019年、プレジデント社)