ミソジニーとホモソーシャルが分かりやすい本の紹介

先日、銀行の窓口で60歳代の男性が窓口の行員に対応が悪いと罵声を浴びせていました。相手が女性で若く、しかもヒラだからでしょう。彼は女性蔑視(ミソジニー)をしているのです。「男らしさのボックス」(後日詳細は投稿します)に閉じ込められ、ネガティブなホモソーシャルの世界で生きているから、何の躊躇いもなく行員を怒鳴るのです。同じ対応で、相手が男性で、役職付きでしたら、どうだったでしょうか?

私たちはこのような場面に何度も遭遇します。そんな時に、モヤモヤして確実に自分が二次被害を受けますよね。そういう社会を変えていくにはまずそのことにモヤモヤしているだけではなく、その構造を学ぶことです。

 

 

最近、ミソジニーとかホモソーシャルというワードをSNSでよく見かけると思います。分かりやすい本が出ましたので、おススメします。

 

 

こういうふうに分かりやすく書いています。

 

ミソジニー

家父長制と、ミソジニー(女性軽視) の関係性

このマンガのお父さんが「女なんか」と女性を下に見てしまうのは、「たまたまひど いことを言う人だった」などの個人的な価値観の話で終わるものではありません。

日本には、父親を家の長とする「家父長制」というものがありました。父親は家族 を統括する強い権限を持っており、さらに、跡を継ぐ男児が次期リーダーという考え 方で、家を存続させるために男性が重宝されていたのです。一方女性は、多くの場合 サポート役にまわることしか許されませんでした。それが理由で、いまだに「女性は 男性の自分よりも劣っていて、守るべきもの。自分が上に立ち、養っていかなければ ならない」という価値観を受け継いでしまっている男性は少なくありません。

「大黒柱 であらねばならない」、「女性に頼られなければならない」という、男性だからこそ感 じやすいプレッシャーや生きづらさは、「女性は劣っている」という前時代的なミソジニーの上に成り立っている側面があります。それならば、男性のためにも女性のためにも、少しずつほどいていきたい考え方ですよね。

(著:パレットトーク イラスト:ケイカ『あの時も「こうあるべき」がしんどかった〜ジェンダー・家族・恋愛〜』シンコーミュージック・エンタティメント、2021年)

 

ホモソーシャル

「ホモネタ」でゲイを透明化していないか?

解説の「ホモソーシャルってどういう意味?」(p.67) でも前述したとおり、男性の中には自分を男性の中のヒエラルキーの上部に据えるために、ゲイを下に見 たり、女性を支配している側であるという立場をとる発言をしたりという雰囲気が存在しています。もちろん全員がそうだというわけではありませんが、こうした言動が出てしまいやすい環境が作られてしまっていることは否定できません。

p.67 ホモソーシャルとは「同性同士の性や恋愛を伴わない絆やつながり」を指す言葉です。特に男性同士の、いわゆる「男の付き合い」といった意味で使われることが多いのでポジティブな意味にも捉えられるような気がしますが、実は多くの人の生きづらさを生んでしまったり、誰かを傷つけてしまったりすることもあります。

このマンガで描かれる男性同士の掛け合いの中で「冬馬、まさかソッチってこ とないね?」というセリフが出てきます。「ソッチ」というのは、ここでは「ゲイ」 という意味で使われており、彼は冬馬に対して「あなたはゲイではないよね?」と聞いていますが、実際にその相手がゲイかもしれないという可能性を考えているのではなく「まさかそんなはずはないと思うけれど」という意味を込めて話し ている、というのもポイントです。

そういったホモソーシャルな雰囲気の中に実際にゲイの当事者がいたら、どう 思うでしょうか。当事者がいるとはまるで想定しておらず、悪気はなくても、実 際にそこにいる全員の性自認性的指向は見た目ではわかりません。日常的な 会話の中で知らないうちにゲイの当事者を「当然いない もの」として扱ってしまうことに慣れていないか、振り 返ってみましょう。

(著:パレットトーク イラスト:ケイカ『あの時も「こうあるべき」がしんどかった〜ジェンダー・家族・恋愛〜』シンコーミュージック・エンタティメント、2021年)