名護市基本構想で主張された逆格差論

    名護市基本構想で主張された逆格差論

日本政府は復帰後の沖縄の開発として、「沖縄振興開発計画」を決定(1972年12月18日)します。その主張の基本的トーンは、沖縄は日本に比べて著しい格差があり、その格差を是正しなければならないというものでした。

〔沖縄は〕長年にわたる本土との隔絶により経済社会等各分野で本土との間に著しい格差を生ずるに至っている。

これら格差を早急に是正し、自立的発展を可能とする基礎条件を整備し、沖縄がわが国経済社会の中で望ましい位置を占めるようつとめることは、長年の沖縄県民の労苦と犠牲に報いる国の責務である。(内閣府沖縄総合事務局「第一次沖縄振興開発計画」より)  

復帰後の沖縄県には、日本と沖縄の格差是正を名目にして、国策による巨大開発が矢継ぎ早に展開されることになります。それらの巨大開発は沖縄の「自立的発展を可能とする基礎条件を整備」するという目的で行われましたが、その内容は自立的発展に沿うものとは言いがたいものでした。

振興開発のほとんどが公共工事で、高速道路が整備され、トンネルが掘られ、橋が架けられ、次々とモータリゼーション(車社会化)の整備が進んでいきます。そのようなモータリゼーションの整備は地域住民の生活の利便性を増すという面よりも、リゾート開発を容易にするという側面を持つものでした。それに反して、生活道路といわれる道路の整備は、復帰後50年経ってもまだ完了していないところが多数あります。

沖縄の鉄軌道の復活も果たされなかったものの一つです。戦前には3 路線 46.8kmの路線長を持つ軽便鉄道がありましたが、これが復活することはありませんでした。日本では高度経済成長期に国土の隅々にまで鉄道が敷かれ、鉄軌道による輸送を基に経済成長を果たしたのですが、鉄軌道復活の要望は「自立的発展を可能とする基礎条件を整備」に含まれることはありませんでした。

沖縄都市モノレールゆいレール)は1972年の「第一次沖縄振興開発計画」で導入が検討されていましたが、国は赤字路線になるなどと言ってなかなかゴーサインを出さず、31年後の2003年にやっと開業に漕ぎつけたものです。

鉄軌道の復活や都市モノレールの開業などは、「自立的発展を可能とする基礎条件」の整備にあたりますが、国はそのような自立経済をサポートするような整備には消極的であり、リゾート開発につながるモータリゼーションのための整備には、巨額の資金が惜しげもなく投ぜられるのだといえます。

海浜の埋め立ては矢継ぎ早に実施されました。珊瑚礁のリーフで囲われた沖縄の海浜は遠浅で、安価で埋め立てするには最適の土地だったのです。糸満市の西崎が埋め立てられ、豊見城市豊崎が埋め立てられ、金武湾、中城湾と次々と埋め立てられていき、沖縄の自然海岸は著しい速度で消滅していきます。

立派な道路や施設ができても、沖縄の産業が発展したとか、沖縄の住民生活が豊かになったという実感に乏しいものでした。見てくれは立派でも中身の伴っていない開発が多かったのです。

そのような国の格差是正論に異議を唱えたのが、名護市が『名護市総合計画・基本構想』(1973年6月策定。以下「基本構想」)で提示した逆格差論でした。

逆格差論は時代に先駆けて、「持続可能な社会」作りを50年近く前に提唱したものです。国連が、最初にsustainability =持続可能性という語を用いたのは、 1978 年とされます。今日使われる意味での用法は、1987 年に「環境と開発に関する世界委員会」の報告書で使われるようになってからのことです。つまり名護市の逆格差論は、持続可能性の議論が広がる 15 年も前に、独自でその思想を展開したものなのです。

基本構想で主張されたことは、大雑把にいうと、所得格差論に基づく開発は農漁業等を軽視した“工業の論理”であり“企業の論理” であるために、自立経済を確立するどころか沖縄の豊かさを逆に破壊する、というものでした。

県民の批判と生活要求の本質を認識しない沖縄開発論は、北部開発の起動力と称する「海洋博」においてすでに明らかな農漁業破壊の実態を見るまでもなく、自立経済の確立どころか、ついに沖縄を本土の“従属地”としてしか見ない本土流の所得格差論をのり超えることはできないのである。(中略)

工業によって物資やお金を増やさない限り、福祉や社会サービスを向上させることができないという考え方は、相変らず農漁業等を軽視した“工業の論理”であり“企業の論理”である。なぜなら、たとえば、立派な冷蔵庫は月賦で買ったが、その中に入れるおいしい果物は高くて買うことができない。デラックスな自動車は増えたが、交通事故は激増し子供たちは遊び場を失った。お金を払う遊ぶ施設は立派になったが、お金のいらない美しい野や山、川や海はなくなってしまったという現実がすでに明らかになっているからである。(基本構想第1章2「逆格差論の立場」)。

基本構想では、産業社会の行き過ぎを指摘し、健全な生態系に包まれて生きることを提唱します。そして農漁業を基盤にした地場産業の発展は、「人類の使命」であると謳いあげます。つまり経済の右肩上がりだけを求めてきた産業社会は曲がり角に来ており、次のステップに移らなければならないことを宣言しているのです。

農漁村があってこそはじめて都市の役割も正しく発揮されるものであることを認識しなければならない。この都市と農村の正しい関係を見ない開発論は、計画者の良心的努力とは裏腹に、相変らず農村、漁村を破壊する結果になることをはっきりと認識しなければならないだろう。

今、多くの農業、漁業(またはこれらが本来可能な)地域の将来にとって必要なことは、経済的格差だけを見ることではなく、それをふまえた上で、むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、豊かな生産のもつ、都市への逆・格差をはっきりと認識し、それを基本とした豊かな生活を、自立的に建設して行くことではないだろうか。その時はじめて、都市も息を吹き返すことになるであろう。

まさに、農村漁業は地場産業の正しい発展は、人類の使命と言うべきであろう。(前掲「逆格差論の立場」)

そして基地依存経済からの脱却を、日本の高度経済成長の後追いに求めるのではなく、地場産業の本格的育成に求めます。

あえていうならば、基地依存経済の脱却とは、あれかこれかといった他の“金もうけ”の手段をさがすことではなく、農林漁業や地場産業の本質的育成、振興という正当な“金もうけ”を達成することによってのみ本質的に可能となるのである。(基本構想第1章3「沖縄の自立経済」)

逆格差論で注目されたのは、字公民館を中心とするコミュニティづくりでした。その当時の沖縄では、字公民館は行政の補助金に頼るのではなく、住民たちが自力で建設したものがほとんどでした。このように自力で作られた字公民館にこそ、高い自治能力があると認めたのです。

名護市は行政が中央集権的にさまざまな施策を行う前に、まず字公民館が自立して文化・経済・政治活動を行うようにサポートすることを行政の柱に据えたのです。つまりツリー(樹木)型の行政ではなくリゾーム(根茎)型の行政の確立を目指したのです。

幸いにして、名護市においても市公民館を中心としたコミュニティ活動が盛んである。こうした歴史的蓄積をひとつの現実的根拠として、このしくみを考えていくべきであろう。現在字公民館は、ほとんどすべての字(集落)にあり、その数は50カ所をこえるであろう。施設としては集会室、部落事務室、厨房などを持ち、周囲には子供の遊び場の他に、保育所や共同売店などが併設されているものも多い。これらの公民館、保育所、共同売店などはいずれも、地区住民の自力建設を基本として作られたものであり、このことの持つ意味は、本土の公民館が、一種のおしつけとしての補助金によるものが多いことと比較した時、想像以上に重要なものである。(中略)しかし、この一種の自治活動としての公民館活動も、従来のままのものであっては、社会計画を考える上で充分なものではない。(基本構想第5章2「社会計画の方向」)

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名護市が1973 年に策定した第一次総合計画は、その基本構想が「内発的発展」を謳った「逆格差論」として、環境問題に関心を持つ人びとに強烈なメッセージを伝え、全国的に知られることとなりました。行政による基本計画としてはありえないほどの大胆な提言に満ちた思想的先駆性を持つ内容であったからです。

逆格差論に立つならば、豊かさとは経済指標によって測られるものではなく、豊かな自然に根差した経済発展(内発的発展)を目指すことです。「工業の論理」や「企業の論理」で進められる振興開発は、経済指標的には上位に来ることがあったとしても、それは豊かさとは別なものであり、逆に豊かな社会を破壊するものであると見るのが、逆格差論なのだといえます。

1973年に名護市が打ち出した逆格差論は、未完成なままに終焉したといえます。しかし農業を基盤に据えて地場産業を創り出すという名護市の取り組みから、絶滅寸前だった在来種黒豚アグーの復活は成功し、アグーをブランド化するのに成功しています。遠回りでもその方が「正当な“金もうけ”」として成功することができたのです。

戦争の危機がよそごとではなくなり、食糧自給の不安がささやかれるようになった現代の沖縄においてこそ、逆格差論は再び注目される必要があるのかもしれません。