『生き延びるためのラカン』(斎藤 環、筑摩書房、2012年)

2015年6月16日の読書記。「ママのかわり」の「言葉」を見つける旅に出てみようかなって思う。

「小さい子はだいたいそうだけど、ママがそばにいないと、不安で泣きだ出しちゃうでしょう? あれは、『眼にみえないものは存在しない』っていうのが、子どもの世界のきまりだから。それがどうして平気になるかというと、『ママのかわり』をみつけるから。たとえばライナスの安心毛布なんかが良い例だ。でも、究極の『かわり』は、やっぱり『言葉』なんだね」(斎藤環『生き延びるためのラカンちくま文庫、2012)
言語によって社会ができているということを、こんなに短い言葉でうまく言えるなんてすごい!斎藤環は、「知的に早熟な中学生」を基準にして、この本を書いたようだが、知的なことに怠惰な中高年のワタシのような人にでも、解るように書いてくれたような気がする"(-""-)"。
こういう本は編集者の力なのかな。出版文化の奥深さを感じた。後退させてはいけないと思う。日本の出版文化を。

看護学生に頼まれて

看護学生の図書委員から「昨年度の社会学の授業に感銘を受けました。この度、「図書室たより」を担当することになり、ぜひ先生の推薦図書を掲載したいと考えています。看護学生、青年期の皆に読んでほしい本を…」と手書きの依頼文書を受け取りました!

せっかくだから

はてなブログを利用して推薦図書をアップしてみますね。最初は社会学を意識した本ですが、あとは領域横断的な本です。彼らにピッタリと思っています。

 

イラストでキーワードを理解するのに最適な本です!プロテスタンティズム・ラベリング・スティグマなどなどイラストでスーと理解できます。

 

人類学的な視点、近代医療をのりこえるための理論がいっぱい詰まっています。理論書なのにイラストも「要約」もコンパクトです。

 

フローレンス・ナイチンゲール(1820−1910)が生き、活躍した時代のイギリスは、ジェントルマンと労働者という二つの階級に明確に分かれた二つの国民がいた社会でした。

現在の日本社会も新自由主義ネオリベラリズム)が政治経済の面で主流になり、貧富の格差が凄まじい勢いで進んでおり、急速にヴィクトリア朝的な階級社会へ移行している状態です。
現代においても、あるいは新自由主義が席巻する現代においてこそ、ナイチンゲールの偉業に耳を傾ける必要があるのだと思います。

 

この本でヒトラーの子ども時代を知ることが、現代社会に問われていることだと思います。

 

「その島」とは、沖縄のシマ社会のことかと思い、勘違いしながら読みましたが、繋がるものがありました。地域医療を考える方はぜひ!

 

「オープンダイアローグとは、1980年代からフィンランドの西ラップランドにあるケロプダス病院でおこなわれている家族療法の一種。患者やその家族から電話を受けると、24時間以内に治療チームを組んで訪問してミーティングをおこなう。場所は主に患者の自宅。

参加者は、患者本人とその家族、親戚、医師、看護師、心理士、現担当医など、患者にかかわる重要な人なら誰でもOK。治療チームのメンバーは、全員ケロプダス病院で3年間の家族療法のトレーニングを受けた専門家たち。そこでおこなわれるのは、まさに「開かれた対話」。輪になって座り、あらゆる発言が許容され、傾聴され、応答されることで会話をつなげていく。すべての参加者は平等で、専門家が指示して患者が従う、といった上下関係はつくらない。また患者本人がいないところでは何も決定しない。薬物治療や入院についても、本人を含む全員が出席したところで話し合う。対話の時間は長くても1時間半くらいで、無理に結論を出すことはない。危機が解消するまで、通常は10~12日間、毎日のようにおこなわれる。薬物治療や入院も、必要に応じておこなう柔軟さがあり、そういう意味でもオープンである。社会福祉が充実した北欧らしく、希望する人は誰でも無料でこの医療サービスが受けられる。…」(何から引用したのかが探せません。ごめんね)

今、その実践が日本でも始まっています。私は7・8年前に東京でのその関連のシンポジウムに参加して志ある人々の熱気を感じてきました!

おおっと思ったのは、オープンダイアローグはポストモダン思想だということ!

 

子どもの表情や感情の描き方がすごいのです!イクメンなんていう言葉が陳腐になります。じゃんぽーる西の本は皆お勧めです。

 

両親の離婚、目の前での母親の自死、養護施設、ホームレスを体験した女性歌人の歌集です。ちなみに彼女はミスiD(ミスアイディー、miss iD)に応募しています。ミスiDは、講談社が主催する、見た目やジャンル、ジェンダーロールに捉われず、新しい時代をサバイブする多様な女性のロールモデルを見つけるオーディション・プロジェクト。検索してみてください。

 

2000年12月、一家4人が殺害された「世田谷事件」は著者の妹家族です。悲しみの底にいる中での周囲の偏見の眼差しを受け、心ない報道を受けます。そんなどん底の中で、愛する家族を助けられなかった自責の思いを持ちながらも、そこから生きる意味をつかんでいっています。

 

この本の言葉のセンスは、社会的な問題と個人の心の傷は切り離すことはできないという実践の場から生み出されています。あなたのなかのインナーチャイルドに向き合うことが、他者のケアをする人には必要なのではと思っております。

 

ひきこもりの家族と暮らしている学生は少なくないですよね。「個人」の病理ではなく、家族・社会のシステムが構造的に生み出している病理として理解するというのが、私たちの社会には必要だと思っております。

 
「回復とは、被害者でも加害者でもなくなり、サバイバーでもなくなり、そういう一般的な名前ではくくれない『他者の誰とでもちがう、私でしかない私』」と著者は述べています。
「被害者であった赤ずきんと加害者であったけれど実は被害者であったオオカミとが、共に回復して対等に向かい合い協力し合って、新しい世界をつくっていく物語を書きたかったのです」とも著者は語っています。さらに、「家族が壊れたら新しい大きな家族ができます。新しい出会いを一歩一歩形にしていくこともできます」とも。
「新しい大きな家族」、これがこれらからの社会をイメージすることが大事なのではと思います。一緒に考えていける看護学生と出会う日を待っています。
 

拒食の果てに入院して、主人公ははじめてインナーチャイルドの暴走から解放されます。それは親友が彼女を自分たちの子どもとして育てようと決心するからです。

それから/あたし わかったの/福ちゃんが/あたしたちの/なんであるかって/ことが

あのこ/あたしたちの/子供なのよ

な…な…/なんだ!?/子供って!?

あの子の/頭の中では/あたしたち/両親なのよ

五歳児くらい/その辺で/ウロウロしてるの/福ちゃんって

や・やだよ/おれそんなの

だけど事実だわ/その上/飢餓状態なの/ハートがね

あたし/あの子を/育てる/つもりだわ

そ・そ・/そういうのって/おこがましいんじゃ/ないのか…/か・か・かりにも/同い年で/

もう高二だし

あなたの/言っていることが/わからないわ/あなたに/協力して/ほしいのよ

や・や・や

やだ?

やった/やった/やった/ことないけど

た・た/ためして/みる価値は/ありそうだな/…/ぼ・冒険っていうのかな

もう一度/よかった

う――

よーし/パパに/なったる

なったるで――っ

「あの子わたしたちの子供なのよ」

から…

「パパになったる なったるでー」

バーチャルな家族を同年齢でも構築することが可能であることを示してくれるなんてね、ありがたい。若者のほとんどが何しらのサバイバーである時代だからこそ、大島弓子の本をお薦めします。

 

「創られた日本人観」を打ち破ってくれます。

 

今はもうシニア世代の話。シニア世代の人々がこういう共感しあえる漫画をもてていたら「帰る場所」はあるのかもしれない。若者には渋い内容だが、世代間の分断をうまないためにお薦めします。

 

医療従事者としてのパンデミックの見方にこういう視点も入れてほしいなぁ。ウイルスの脅威を前にして、非常に脆弱なこの社会はなぜ?という問いを、です。

 

2012年12月 TEDxEustonでのトークを加筆した本です。フェミニズムジェンダー系の本では読みやすい本です。この本に登場するステレオタイプ思考の人々って、わたしたちの身近にたくさんいますよね。チママンダが定義するフェミニストは「男性であれ女性であれ『そう、ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね、もっと良くしなきゃ」という人だと。「女も男も、私たち『みんな』で良くしなければいけないのですから。」と。「分断」ではなく「仲間」づくりですね。

 

1978年生まれのスウェーデンの女性漫画家が描いています。男性の看護学生も女性の看護学生も、どっちでもなかったり、どちかにいったりきたりした看護学生も、笑い合いながら読んでー。笑えるあなたは権力に負けないでしょう。

 

病院の待合室にあるといい本です。まずはあなた自身が読んでみてね。

 

 

 

 

 

 

 

ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』をテクストとして

ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』をテクストとして

  1. はじめに

今回は16世紀末に日本を訪れてキリスト教の布教活動をした、ルイス・フロイスの著『ヨーロッパ文化と日本文化』をテクストにして、近代以前の日本とヨーロッパのジェンダーを比較してみたいと思います。

 

 

  1. ルイス・フロイスとその活動した時代

イエズス会[1]宣教師ルイス・フロイス(1532‐1597)は、ポルトガル出身のカトリックの司祭で、35年間日本での布教に努め、長崎で生涯を終えます。その間、当時の日本の社会を細かく観察し、ヨーロッパ文化と比較・対照して記録しました。記録は衣食住、宗教生活、武器武具から演劇・歌謡など多方面に及びます。

フロイスが日本に来たのは1562年のことで、東は石川県、西は長崎県までを含む西日本で布教活動を続け、1597年に長崎で65歳の生涯を終えます。テクストにする『ヨーロッパ文化と日本文化』は、長崎県島原半島の南にあった加津佐町(かづさまち)で、1585年にまとめられたものです。

フロイスが日本に滞在していた時代は、織田信長戦国大名の一人として頭角を現わし始めた時期から、信長の跡を継いだ豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた時期までが含まれます。

天下統一にともない、戦国大名たちが設けた関所での通行税は廃止されるようになり、米などを量る枡の大きさも統一されるようになっていきます。つまりフロイスが滞在していた時代は、日本における商品流通経済が盛んになる時期にあたり、その時期にキリスト教の布教活動も盛んになります。

一方ヨーロッパでは、1517年の宗教改革によって、キリスト教[2]がローマ・カトリックプロテスタントに分裂します。この宗教改革に危機感を抱いたローマ・カトリックは、プロテスタントに対抗して、ヨーロッパ以外にもキリスト教を広める活動が活発になり、布教活動のネットワークを全世界へ広げていきます。フロイスの来日も、ローマ・カトリックの布教活動の一環として行なわれたものです。

  1. 性愛・配偶者選択・離婚について

女性のあり方について日本の社会とヨーロッパの社会とは非常に違うことがフロイスによって指摘されています。たとえばヨーロッパでは未婚の女性が処女であるかどうかが重視されるのに対して、日本ではまったくそれが問題にされません。

ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失われなければ、結婚もできる。(ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』39ページ)

キリスト教は性愛に対してきわめて禁欲主義的な宗教で、上記の指摘はそのことを反映しているのだといえます。しかしなぜ女性にのみ貞操が求められるのでしょうか。それはヨーロッパがきわめて男性中心主義的な社会であったことを示すものだといえるでしょう。

日本の婚姻習俗においては、武家階級を除いては、貴族から庶民に至るまで、夜這いから結婚に至るというプロセスが一般的でした。武家階級を除く日本の婚姻習俗は、地域や貧富の差によって多少の例外はあったとしても、基本的には、夜這い→通い婚(婿入り)→嫁入りというプロセスを踏むのが一般的でした。

通い婚の時期は長く、嫁ぎ先の主婦(姑)が隠居するか亡くなるまで、つまり主婦の座が明け渡されるまで続きました。そのため通い婚の期間に子どもが二三人できることも珍しいことではありませんでした。

つまり、夜這い、通い婚、嫁入りのいずれのプロセスにおいても、女性の選択決定権の強い婚姻習俗であったのです。それは子育ての合理性が優先されていたのでしょう。民俗学者宮本常一(1907-1981)は、夜這いから結婚に至るプロセスを次のように記録しています。

内海〔瀬戸内海〕の島々では昔は若者宿がよく発達し、また娘宿も見られた。広島県倉橋(くらはし)島では、大正のころまでは男たちが三味線をかついで娘宿へいって、いっしょに三味線をひいてたのしむ風があった。三味線のひけぬ男は座敷へあげてもらえず下足番をさせられたもので、その憂き目を見ないためにも芸事に精出さねばならなかった。(中略)ところが娘たちのなかには何人かの男と交渉を持っているものもあって、いよいよ一人の男と身を固めるというときには、ほかの男たちに対して紺の足袋を贈ったものだそうである。「このたび限り」という意味だそうで、足袋を贈られたものはもうその娘に手をかけてはならなかった。(宮本常一『女の民俗誌』258ページ)

 

 

フロイスによると「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである」とされるので、ヨーロッパの娘たちは性愛を通しての配偶者選択はできないことになります。つまり配偶者選択を自己決定できるデータが一つ失われている状態だということができます。残るデータは家柄か、親の反対を押し切っての恋愛結婚だけということになります。

ヨーロッパで恋愛結婚が社会的に称揚されるようになるのは、18世紀後半からで、19世紀になってやっと一般化します。18世紀後半までは恋愛結婚は社会的に公認されるものではありませんでしたから、一部の例外を除いて、大方の女性は家柄で配偶者を選択することになります。その家柄に見合うものとしての純潔さが求められたのです。

日本の場合、配偶者選択の決定権は、娘の側にありました。娘たちに性愛の自由が認められていたため、ヨーロッパのように家柄だけで配偶者が決定されることは少なかったのです。

離婚についてもヨーロッパと日本では大きな違いが見られました。フロイスは離婚について次のような比較をしています。

ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。

〔ヨーロッパでは〕汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのが普通である。日本では、しばしば妻が夫を離別する。(ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』49ページ)

中世のキリスト教の教義では、神が結び合わせたものは人間が解いてはならないということで、離婚は厳しく禁じられていました。「汚れた天性」というのは、人間は神が自分の姿に似せて作ったものであるにもかかわらず、神の教えを裏切る汚れた存在であるという認識のうえに立っているものです。

それとは逆に日本では、気に添う相手が見つかるまでパートナーチェンジを繰り返すことは、さほど珍しいことではありませんでした。女性のほうから男性を離別することについても同様です。これも宮本から例を見てみましょう。

もとより知り合った仲の結婚だからうまくいくはずだが、未婚時代のつきあいともちがって、男のわがままが出てくることが多い。すると女はさっさと家へ帰ったものである。この場合、貞操というようなことはたいして問題にはしなかったようである。そしてまたよい嫁入り口があればそこへゆく。昭和25(1950)年ごろ、島〔対馬〕できいたうわさ話に、38へん結婚したというばあさんがあったというが、私は18へん結婚したというばあさんに会うことができた。島の北端に近い村でのことであった。83歳になるとかであったが、柔和な、しかし、しっかりした元気なばあさんであった。
「出たのですか、出されたのですか」
ときいたら、
「みんなわたしの方から出て来たのです」
とばあさんはごくあたりまえのことのようにいった。わるい亭主にそうたら女は一生の不幸だという。牛や馬を飼う場合でも、気に入らないものはすぐ売ってしまう。人間だって同じことだ。だからほんとによい男に出会うまでは相手をかえてみることだ。とそのばあさんはいった。(宮本常一『女の民俗誌』51-52ページ)

つまり、現代風にいえば「バツイチ」は当たり前ということです。宮本が対馬をフィールドしたのは1950年ですから、戦後の早い時期まではこのような話を80歳代の女性から聞きだすことができたということになります。

ヨーロッパでは未婚の娘の性愛は禁止され、なおかついったん結婚したら離婚は許されず、女性の側から離婚を言い出すことができなかったのに対して、日本では性愛の経験の上で結婚し、なおかつ離婚も自由に行なわれていたということになります。しかも日本では、「しばしば妻が夫を離別する」(フロイス)のです。

  1. 好きなところへ行く自由

16世紀後半のヨーロッパと日本とでは、女性の社会的位置づけや自由度が、大きく異なっていました。フロイスは次のような観察を記しています。

ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。

ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。

日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところへ行く自由をもっている。ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』48・50ページ)

中世ヨーロッパ史を研究している歴史家の阿部謹也(1935‐2006)は、中世日本史を研究している網野善彦(1928‐2004)との対談のなかで、「15世紀の末にドイツにおける女性の社会的地位が変わった」と述べています。

16世紀の初頭から、女性は家庭にいるものだという主張が出てくるんです。これは、宗教改革者、神学者、それから人文主義[3]たちが先頭をきるんですが、そのころに諸身分の絵[4]が出てきます。その基本思想は、ツンフト[5]、ギルド[6]には武装することができる人間が加入する、町の防衛に参加する単位ともなっている。女はそれができないから家庭にいるものだというんですね。ルターもそういう考え方をしていますし、それ以後の近代、18世紀、19世紀に至るまで、学者たちのそういう論調が非常に強くなります。(網野善彦阿部謹也『対談 中世の発見』87-88ページ)

 

 

つまりヨーロッパでは、宗教改革(1517年)の前後から女性の社会的地位に変化が起こり、女性は社会の表舞台に立つ存在ではなく、家庭に籠もるべき存在だという主張がなされてくるということです。

フロイスの来日は1562年ですので、すでにその頃のヨーロッパでは、「夫が前、妻が後になって歩く」「妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない」という夫婦像が完成していることがわかります。

阿部の指摘で面白いなと思われるのは、「ツンフト、ギルドには武装することができる人間が加入する」という点です。

ヨーロッパ史を見ると、これらの都市の手工業者、商工業者の中からブルジョワジーが誕生し、18世紀、19世紀の市民革命の中心勢力となります。つまりブルジョワジーが近代的市民のモデルとなるのです。そのブルジョワジーの基になるツンフト、ギルドの段階で、職場からの女性の排除が行なわれているのです。しかも女性を排除する理由が、武装することができないという点にありますから、近代市民社会武装した市民たちをモデルに形成されたということがイメージできます。

16世紀のヨーロッパで誕生したこのようなジェンダー観は、それ以後の近代、18世紀、19世紀に至るまで、強化され続けていくことになります。

一方日本では、女性がそのような拘束を受けることは、ほとんど見られることがなかったようです。宮本は、未婚の娘たちが家出同然にして長い旅に出ていた習俗を聞き取っています。

昔は、若い娘たちはよくにげ出した。父親が何にも知らない間にたいていは母親としめしあわせて、すでに旅へ出ている朋輩をたよって出ていくのである。(宮本常一『忘れられた日本人』115ページ)

 

 

このような習俗は、娘の嫁入り前の修業にあたるものだったようです。宮本は郷里の山口県周防大島で次のような聞き取りをしています。

「はァ、昔にゃァ世間を知らん娘は嫁のもらいてがのうての、あれは竈(かま)の前行儀しか知らんちうて、世間をしておらんとどうしても考えが狭まうなりますけにのう、わしゃ十九の年に四国をまわったことがありました。十八の年に長わずらいをして、やっと元気になったら、四国でもまわったら元気になろうってすすめられて、女の友達三人ほどで出かけた事がありました。(宮本常一『忘れられた日本人』110ページ)

はァ、女の組はわしらばかりでなく、ずいぶんよけいまいておりました。まいているのは豊後〔ぶんご。現在の大分県に含まれる〕の国の者が多うて、わしら道々何ぼ組も豊後の女衆(おなごう)にあいました。つい道連(みちづれ)になって、あんたはどちらでありますかってきいてみると、「豊後の姫島であります」とか豊後のどこそこでありますと言うて、お互いに名乗りおうて、それから二、三日いっしょにあるく。そのうちに何かの都合ではなれて、ほかの組といっしょになるというように……。わしら金も持っておらんので、阿波(あわ)の国と土佐の国の境まであるいて、また戻って来ました。金をもっておらんので船へ乗ることはできませだった。歩く分には宿には困る事はありませだった。どこにも気安うにとめてくれる善根宿(ぜんこんやど)があって、それに春であったから方々からお接待が出て、食うものも十分にありました。お接待というのは親兄弟が死んだようなとき、供養のために、遍路に食うものを持って来て施しをしよりました。(中略)食うものがなくなれば、和讃(わさん)や詠歌(えいか)をあげてもらいものをして、家を出るときは二円じゃったか持って出たのが、戻るときには五円にふえておりましたで」(宮本常一『忘れられた日本人』111-112ページ)

このような遍路だけではなく、嫁入り前の娘は奉公や労働に出て世間を知るのが当然であったとみなされていたようです。そこには貧富の差もなく、豪農の娘であっても町方の商家に奉公に出ていたという例もあったことを宮本は述べています。

フロイスはそのような習俗を目の当たりにし、「日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」「日本の女性は夫に知らせず、好きなところへ行く自由をもっている」と記したのです。

  1. 女性の経済的自立性

「日本では、しばしば妻が夫を離別する」(フロイス)という女性の立場の強さはどこから出てきたのでしょうか。それは経済的な自立によるものだと思われます。フロイスの記述の中に、日本の女性の経済的自立性の高さをうかがわせるものがあります。

ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。(ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』48ページ)

 日本では、夫婦の家計はそれぞれ独立したものであり、「時には妻が夫に高利で貸付ける」こともあるということです。歴史家の網野善彦は、これは男性と女性の分業によるものだろうと指摘しています。

農夫に対して蚕婦、男の鍬・鋤に対して、女性の蚕・桑という区分は古代・中世から一貫してあり、繊維産業は女性が完全に掌握していたと思います。(中略)

こうした男性と女性の分業は非常に古くからありました。重要なのは、女性がこのようにして自分でつくった生産物―繭や糸、綿や絹を市場へもっていって、自分で売っている点です。それは江戸時代まで確認できます。糸や綿や絹の商人は、中世では全部女性ですが、これは百姓の女性が広くこうした品物を自分で生産し売買していたことを背景にしています。……このように生産から販売までこの分野はすべて女性が行っていたのです。(網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』84-85ページ)

つまり田畑までが男性の仕事であり、繊維産業は完全に女性が掌握する社会だったということです。女性は自分で商売しますので、男女の会計は、夫婦であっても別個のものとなるのです。

女性は繊維部門については、自分で最初から終わりまで仕切っているのですから、その結果として得られた貨幣は男性にたやすく渡さなかったことは間違いありません。それ故、財布のひもを女性が握っているというのは、単純にただ握っているというのではなく、実際に女性が生産から、流通まで自分で仕切っている分野があり、それを基盤にして動産については財産権を握っていたと考えるべきだと思います。

養蚕や織物だけではありません。男は山に行って薪をとり炭を焼いてきますが、それを売ったのは女性です。いまでも男は夜に漁に出て魚をとってきて、家に帰ると寝ており、そのあいだに女性が魚を加工して売りにいく姿をふつうにみることができます。こう考えると動産―銭は女性が管理するのが当然だったのだと思います。(網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』85-86ページ)

つまり、田んぼや畑、山林、家屋敷などの不動産は男性が管理する社会でしたが、お金などの動産は女性が管理する社会だったということです。

このような男女の分業のあり方は、近年まで本格的な研究の対象とされることはありませんでした。なぜ研究の対象とされなかったのかを、網野は次のように説明しています。

なぜそのことが今まで注目されなかったかについても重大な理由があります。それは公的な世界で税を出しているのはすべて男性ということになっているからです。例えば絹や布は古代の調庸、中世の年貢になっていますが、それを収めたとして、文書や付札(つけふだ)に名前が出てくるのはすべて男性なのです。現在まで伝わっている調庸の絹布の現物に名前が書いてあることがありますが、それも男性の名前になっており、女性の名前は表に出てきません。そのため、養蚕、織物というきわめて重要な分野における女性の社会的な役割が、これまで研究者の視野からぬけおちていたのではないかと思います。(網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』83ページ)

 

 

網野が指摘している点は、納税はすべて男性名でなされていたということです。女性の名前は表に出てこないので、女性の経済活動は無いものとして見落とされていたのです。

法制史学者の高木侃(ただし、1942‐)も江戸時代の養蚕業について同様の指摘をしています。養蚕業が女性を中心に営まれていたにもかかわらず、長野県にあった小諸藩では、「鑑札〔営業許可証〕だけは親・夫あるいは兄弟、つまり男の名前で申請するように」(『三くだり半と縁切寺』)という命令が藩から下されていたのです。

つまり実態はどうであれ、養蚕業の営業許可が下りるのは男性当主に対してであり、文書に残る記録としては男性の名前しか残らないということになるのです。

 

 

フロイスが「時には妻が夫に高利で貸付ける」と記述したのは、建前の家計ではなく、実際に営まれている家計の姿を観察したままに描いたものだといえるでしょう。

近代以前の日本の民衆層においては、女性による動産の管理だけではなく、不動産としての財産継承権においても、大きな男女差はみられなかったようです。宮本の『女の民俗誌』から女性の相続に関する箇所をみてみましょう。

土地によって少しずつのニュアンスの差はあるが、関東北部から奥羽地方にかけては女にも相続の権利のあったことがわかる。女にもというよりは男女の区別がなかったというのが妥当であろう。このような相続形式をさらにくわしく調べてみると、奥羽山脈にそって、その両側の山麓地帯、県にして岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城にわたってかなりひろく分布していたもののようである。一ばん上が女であればかならずあとをとることになるので、この相続形式を姉家督(あねかとく)ともいった。(宮本常一『女の民俗誌』167ページ)

大阪の商家などでは女の子に婿を迎えてあとをとらせる風習はひろく見られた。男の子があっても柔弱で、あとをとらせるには不向きと考えると、男の子の方は別居させて、女にあとをとらせた。婿はその店で番頭などをつとめた律儀な人が多かった。そういうようにすれば財産をつぶすおそれがないと考えた。(中略)

町家ばかりでなく、農村でも財産のあるような家にはそれが見られた。(宮本常一『女の民俗誌』175ページ)

 つまり伝統的な日本社会では、財産の相続権においては男女にそれほど大きな差はなかったということです。相続権についての男女差が少なく、なおかつ動産の管理は女性が中心となりますので、女性の社会的地位はかなり高いものであったということになります。

フロイスが「日本では夫が後、妻が前を歩く」と指摘したように、16世紀末の日本は妻が夫の前を歩く社会であり、宮本による民俗学的フィールドを見る限りにおいては、そのようなジェンダーの位置づけは、近代のある時期まで継続されていたといえるでしょう。

  1. 世間を知る

最後に経済活動と女性の自由度を簡単に比較してみましょう。

阿部は、ヨーロッパでは「16世紀の初頭から、女性は家庭にいるものだという主張が出てくる」と述べています。その経済的背景には、手工業者や商工業者の組合が、女性の組合員を認めなくなるという動きがあります。つまり手工業や商工業などの市場や職場から女性が排除されるのにともなって、「女性は家庭にいるものだ」という主張がなされるようになるということになります。

その同じ16世紀に、フロイスは「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる」といい、「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない」と述べています。

このようなモラルも、女性が公的な経済活動から排除されることと無関係だということはできないでしょう。公的な経済活動の場から排除されることにともなって、女性を家庭に囲い込むというモラルが確立されるのだということができます。

一方日本では、武家階級を除いて、女性を家庭に囲い込むようなモラルは、確立されることはありませんでした。宮本は「昔は、若い娘たちはよくにげ出した」といいます。そのさい「父親が何にも知らない間にたいていは母親としめしあわせて」いたのです。つまり女性たちは、母から娘に相伝される、男性の知らない長旅のルートを持っていたということになります。

宮本は、明治時代の初め頃に、福井県の北部にある波松(なみまつ)という所に住む女性が、十七、八歳の頃に伊勢参りをした話を聞き出しています。それによると、三人ほどの仲間で、最短コースで伊勢(現在の三重県)に向かったのではなく、若狭湾で製塩を見学し、京都に立ち寄り、滋賀県信楽(しがらき)で焼き物の工程を見学し、それから伊勢へ向かっています。つまり、「伊勢参宮は信仰だけではなく、修業の旅であった」のです(宮本常一『女の民俗誌』94‐96ページ)。

女性たちが商業や産業の担い手であったとすれば、それは産業視察の旅であったということができます。またもう一つの見方をすれば、その旅は彼女たちがこれから携わるであろう商品流通のルートを、事前に確認してきたのだと見ることもできます。つまりビジネス精神に基づく世間を知る旅であったという見方もできるのです。

こうした目的があったからこそ、嫁入り前の娘が長い旅に出る必要があったのだろうと思われます。つまり商品開発や商品流通のルートを熟知していない娘は、結婚しても一人前の経済活動ができないものとみなされたのだろうと思われるのです。

そうであればこそ、「はァ、昔にゃァ世間を知らん娘は嫁のもらいてがのうての」(『忘れられた日本人』)ということになるのだろうと思われます。その長旅を父親には知らせず、母親とだけ示し合わせたということは、それが女性だけのもつ商品流通のルートであったことを暗示しているのではないでしょうか。

  1. まとめに

 1980年代に私たちの歴史を見る眼は大きく変わりました。フロイスの記載した16世紀末の日本の男女の姿は、けっして誇張表現ではなく、ありのままの民衆の姿を先入観なしに描いたのだという確信が持てるようになったのです。

「貞女二夫にまみえず」とか「女三界に家なし(女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない)」などという女性像は、近代以前の日本の家族像の実態に当てはまるものではなく、江戸時代の知識人たちが創り出した言説にすぎないことが明らかにされつつあります。

江戸時代、あるいは近代以前の結婚生活というのは非常に封建的で、女性が強い抑圧をうけていたように思ってしまいがちですが、そうではないのです。むしろ、明治以降のほうが、女性の権利が制限されていた面が大きいといえます。江戸時代までの女性のほうが、社会的に見ても法律的に見ても、実質的には保護されていました。

むしろ近代化によって、西欧の男性中心主義的な社会構造が日本に取り入れられていったのだといえます。近代の西欧は、表面上は女性優位、女性尊重することを習慣化していますが、実際には社会の公的な場では女性が排除され、女性は家庭に囲い込まれるという、非常に男性優位、男権優位の社会となっていました。その西欧の男性中心主義を取り入れて、日本は近代化を果たしたのだといえるのです。

宮本は「共働きの単一家族の世界においては男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった」と述べています。

夫婦共稼ぎの世界はその生活は貧しくともそこには深い相互信頼があり、女が男の権力のまえに屈してのみいるような風景は見られなかった。むしろ男は女に寄りそわれることによってどのような世界をも生きぬくことができたのが、日本の過去の民衆社会ではなかったかと思っている。共働きの単一家族の世界においては男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった。(宮本常一『女の民俗誌』75ページ)

私たちが現在の家族を考えとき、欧米の先進的な家族形態を参考にするとともに、日本の過去の民衆社会を振り返ってみることが必要とされるのではないでしょうか。

 

【参考文献】

網野善彦阿部謹也『対談 中世の発見』(1994年、平凡社ライブラリー
網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(2003年、岩波現代文庫
高木侃『三くだり半と縁切寺』(1992年、講談社現代新書
ルイス・フロイス(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』(1991年、岩波文庫
宮本常一『忘れられた日本人』(1984年、岩波文庫
宮本常一『女の民俗誌』(2001年、岩波現代文庫

 

[1] スペイン出身の宗教家イグナティウス=デ=ロヨラが、パリ大学の同窓であったフランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーブルらとともに、1534年に結成したカトリックの修道会。1540年にローマ教皇の認可を得た。聖職者の階級制度を取り払い、カトリック修道会の中でも特に厳格な規則を守り通す同修道会は、堕落したカトリック教会の内部改革を推し進め、また結果的に当時盛んだったプロテスタント宗教改革に反する一大勢力ともなった。海外布教にも積極的で、ザビエルを東アジアへと送り込んだことは周知の事実となっている。

[2] ヨーロッパのキリスト教は、1054年に東欧を中心とするギリシャ正教と、北欧、西欧、南欧を中心とするローマ・カトリックに分裂するが、1517年の宗教改革はローマ・カトリックの領域で行なわれ、ローマ・カトリックからプロテスタントが分裂する。

[3] 人文主義者とは、ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人のこと。

[4] ヨスト・アマンの木版画にハンス・ザックスの詩を添えて1568年に出版された《身分と手職の本》(邦訳《西洋職人づくし》)をいう。

[5] ギルドの形態の一。ドイツで、12、3世紀ごろから結成されはじめた独占的、排他的な手工業者の同職組合。手工業ギルド。

[6] 中世・近世ヨーロッパの商工業者の団体をいう。商人ギルドと手工業者ギルドの2種がある。8世紀末からその古い形が存在したが、11世紀以後、都市の発達とともに血縁的・宗教的な団体から商工業者の利益を守る互助的な仲間組織へと変質していった。

アディクションとコミュニティ⑵

 

はじめに

前回の講義では、グレゴリー・ベイトソンの帰謬法という手法を用いて、アディクションの問題を考えてみました。ベイトソンによると、エラーがあるのはアディクションの〈醒め〉の部分であり、〈酔い〉はそのエラーを修正するものだということでした。

〈醒めている〉状態にエラーがあるのだとしたら、〈醒めている〉状態の日常生活にエラーの要因が含まれているのだということになります。つまり、エラーの要因は近代社会という社会形態や近代家族という家族形態に含まれるということになるのです。

近代社会(家族)がなぜアディクションを引き起こすのでしょうか。そのことを改めて考えながら、歴史的に最初にアディクションからの回復に力を与えたとされるアルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous 以下AA)と呼ばれるセルフヘルプグループ(自助グループ)を取り上げ、なぜAAというコミュニティはアディクションを回復に導くのかを、考えてみたいと思います。

AAとは

AAとは国際的なセルフヘルプグループ(セルフグループ・Self Help Group)です。1935年、米国で誕生しました。AAの誕生については、野口裕二(1996)が的確にまとめているので、それを引用します。

AAの誕生は、ビルとボブの伝説的な出会いに始まる。1935年、ニューヨークの株式仲買人ビルは、仕事でオハイオ州アクロンに赴く。そこで仕事がうまくいかずに、「また飲み出すかもしれない」という不安にかられる。(中略)このとき、彼は「自分を救うために、もうひとりのアルコホリック(Alcoholicアルコール依存症者)にメッセージを運ぶべきだ」と突然悟る。そのもうひとりのアルコホリックが、アクロンの医者ボブだったのである。/ボブはビルとの出会いを次のように述べる。「もっともたいせつなことは、彼がアルコホリズム(Alcoho-lism アルコール依存症)に関連して、自分の話していることを体験によって知っている、これまで私と話した最初の生きた人間だったことである。いいかえれば、彼は私のことばを話したのである」。この出会いがAAの誕生の時とされている。(野口裕二『アルコホリズムの社会学』)

 

ここで重要なことは、「自分を救うために、もうひとりのアルコホリックにメッセージを運ぶべきだ」と悟ったことです。そのメッセージは体験の共有であり、もうひとりのアルコホリックにとっては、「彼は私のことばを話したのである」と受け取られたということです。メッセージは一方的なものではなく、メッセージが伝えられる相手にとっても、自分のことばが他者によって語られるという、個人の壁を超える行為となったのです。

このようにして誕生したAAは歴史的に最初に成功したセルフヘルプグループとなりました。そして現在、130カ国以上に200万人の会員を要する世界的な規模のグループに成長しています。AAの目的はただひとつです。それは飲酒しないで生きることです。その目的を達成するためにAAでは、「12のステップ」という考え方を提示しています。

12のステップの構成は、①自分の無力を認め、②自分を超えたところの絶対的な存在を信じ、③これまでの生活を振り返って自分の短所を見出し、④傷つけた人たちへの罪ほろぼしを考え、⑤仲間に回復の道を示す、の5段階になります。12のステップとは以下の通りです。(原点になった12のステップから多少の言い回しや訳の違いやアディクションの形態によって差異はあります)

 

1 われわれはアルコールに対し無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。

2 われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった。

3 われわれの意志といのちの方向を変え、自分で理解している神、ハイヤー・パワーの配慮にゆだねる決心をした。

4 捜し求め、恐れることなく、生き方の棚卸表を作った。

5 神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。

6 これらの性格上の欠点すべて取り除くことを神にゆだねる心の準備が、完全にできた。

7 自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。

8 われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。

9 その人たち、または他の人びとを傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。

10 自分の生き方の棚卸しを実行し続け、誤った時は直ちに認めた。

11 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行なっていく力を、祈りと黙想によって求めた。

12 これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコール中毒者に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。(野口前掲書より)

 

AAでは、先行く仲間が、プログラムをスタートして間もない依存症者とペアになって、回復のお手伝いをします。もちろん先行く仲間は回復へのプロセスにある人であり、回復した人です。アディクションの回復とは生き方の修正であり、そのモデルはセルフヘルプグループという、同じ問題を抱えたコミュニティのなかにいる、生身の社会的身体をもった人から得られるのです。そのセルフヘルプグループの仲間が回復のモデルであり、共感を得られる強力なサポーターであるのです。先行く仲間は後輩の回復モデルとなり、先輩をモデルとして回復に向かったアルコール依存症はいずれ、自分自身が後輩の回復モデルとなるわけです。

日本にAAが紹介されたのは1950年ごろで、AAの日本のはじまりは1975年とされています。また日本の断酒会は、AAのデザインを参考にしつつも、日本人の特質に合わせてAAの匿名性や非組織化、献金性といった原則を取り除いて設立させています。

 

近代社会(家族)はなぜアディクションを引き起こすのか

現代の生活は、家族においても社会においても、常に少しだけ成績や評価が良くなることが期待されるという傾向があります。現状でいいとか、多少下降してもかまわないという生き方は、現実はどうであれ、理念としてはもちにくいわけです。つまり常に上昇することが求められているといってもよいでしょう。

たとえば、わたしたちの暮らしぶりを少し振り返るだけでも、この上昇志向ということがあきらかになります。沖縄における民衆の家屋は、明治時代までは穴屋と呼ばれる掘っ立て小屋がほとんどであったとされています。それが茅葺の家になり、瓦屋根の家になり、鉄筋コンクリートの家へと変遷しています。掘っ立て小屋から鉄筋コンクリートまで百年もかかっていないのです。世代にすると三世代から四世代でしょうか。それくらいで家屋は大幅に変更されているのです。

一世代前と比べても、暮らしは間違いなく変貌しています。二世代前と比べると、おそらく想像を絶するくらい変貌を重ねていることがあきらかになるとおもわれます。つまりわたしたちの暮らしは、常に上昇することがあたりまえとなっているのです。

上昇することを前提とする生き方は、近代社会においてあらわれた現象です。近代以前の伝統的な社会においては、暮らしの変貌は感じ取ることのできないほどゆるやかなものでした。むしろ暮らしに変貌がないようにして生きてきたのが、伝統的な社会のありかたでした。昨日と変わらない今日、その繰り返しが伝統的な社会においては、求められてきたのです。

親が職人であればその子も同じ職人になるというふうに、世代が変わっても暮らしぶりに変更がないことが求められた社会だったのです。そのような社会では、現状を維持することが求められてきました。現代の視点からみると、不思議な社会のような感がしますが、逆にみると、上昇することが求められない社会だったということができます。親の職業は間違いなく子どもに伝達され、親と同じ生活水準が子どもにも繰り返されたのです。

それを貧困の状況であるとみるかどうかは、視点の問題になってきます。貧困というのは相対的な問題です。社会全体の生活水準が低ければ、貧困という問題は、本質的には発生し得ない問題なのです。社会全体の生活水準が上がり、貧富の差が生じることになると、貧困という問題が社会的に発生するのです。

かつて社会学者のイヴァン・イリイチ[1]は、冷蔵庫を持たなくとも生活のできるメキシコの農家の生活と、冷蔵庫を持たないと生活ができないニューヨークのスラム街の生活と、どちらが貧困なのであろうか、という問いを立てました。本質的な意味において貧困とは、何かが欠けているという欠落感によって生じるものだといえるのです。

伝統的な社会においては、生活水準が上昇しない代わりに、安定した生活がありました。しかも親と同じことを繰り返すだけという、努力を要しない安定した生活なのです。

伝統的な社会に比べ、近代以降の社会では、常に生活水準が上昇することが求められました。生活水準が上昇するということ、それ自体はよいことに間違いはないのですが、問題となるのは、わたしたちが常に生活水準の上昇を前提にして生きていかざるをえないということです。

たとえば急降下する坂道でブレーキの利かないバスから降りたくとも降りることができない、それが近代以降の生き方の問題であるといえるでしょう。個人による選択とか意志ではなく、乗っているバス自体が急降下(急上昇でもかまいません。いずれでも降りることができないという点では同じです)しているのです。個人による選択とか意志ではなく、常に生活水準が上昇することが求められているのです。

そのためわたしたちは、少しだけ興奮状態にあることを日常化しています。伝統的な社会では、興奮状態はごくたまに、しかし爆発的に起こるものでした。爆発的な興奮状態が、一時的に社会の秩序を転倒させ、カオス(chaos)[2]状態を巻き起こします。

カオス状態のなかで人間は個人を離れ、集団的意識と一体化します。そのような状態は社会にとっても個人にとっても危険な状態なので、あくまでも一時的な爆発的興奮状態として秩序づけるのです。それが祭りなどの原初的なスタイルです。しかしこの危険な状態もまた、人間には必要なことだったのです。

たとえば戦前の那覇の大綱引きは殺気立っており、殺人には至らない程度の流血騒ぎがつきものであったいわれています。これは那覇の大綱引きだけにかぎられる現象ではありません。祭りには常に殺気立つような興奮がつきものだったのです。

あえてこのような危険な状態を演出することは、社会集団を維持するために必要とされたことだといえます。このような殺気によって人びとは、日常生活とはことなる「ハレの日」を現出させることができたのです。「ハレの日」は「聖なる日」です。「聖なる日」は殺気によって原初的な荒々しいエネルギーを、社会集団にもたらすことができるのです。

個人が個人の殻を破って集団と交わるのは、人間社会の課題でした。人間には個人に閉じこもりたいという性向と他人を求めるという性向が、分かちがたく結びついています。この個人の殻を破り社会を成立させる(他人を求める)ために、爆発的な興奮状態が必要とされたのです。

伝統的な社会では、そのような興奮状態は、一定のルールとマナーに基づいて奨励されました。興奮状態が社会の基盤を揺るがすことがあってはならないのですが、興奮状態によって個人と社会との融合関係をもたらさなければならなかったからです。

しかし現代の生活において、爆発的な興奮状態は必要のないものとなりました。その代わりに、かすかな興奮状態を日常的に持続させることになってしまいました。一時的な爆発的な興奮状態が、日常的なかすかな興奮状態に変わったとき、爆発的な興奮状態を起こさせる刺激物や刺激が、日常的に服用されるか、爆発的な興奮状態を、規模を小さくして、個人的に繰り返すようになってしまいました。

アルコール、薬物、ギャンブル、恋愛など、個人の殻を超えて爆発的な興奮状態を惹き起こすのに必要だった刺激物や刺激、感情が、集団の行動としてではなく、個人の行動として日常的に使用され、繰り返されるようになります。伝統的な社会においては、一定のルールとマナーのもとに、興奮状態を作り出す刺激や刺激物、感情は、統制されていたのですが、それが個人的な行動となった場合、集団による統制は効かないものとなります。

爆発的な興奮状態を惹き起こす刺激物や刺激、感情は、個人の殻を破るために必要とされたのですから、当初から個人による抑制は期待できないものでした。なぜならそれらは個人の意志や抑制心を取り除くための刺激であったからです。

このような刺激物や刺激が習慣化したとき、人間はこれらに支配されてしまうことになります。それがアディクションといわれるものです。本来、人間の集団において肯定的な評価を受けていた英雄的な行為が個人化したとき、ポジティブなものはネガティブなものへと反転します。

 

なぜAAというセルフヘルプ・グループはアディクションを回復に導くのか

歴史的に最初にアディクションからの回復に力を与えたのは、AAと呼ばれるセルフヘルプグループ(自助グループ)でした。アルコホーリクスとはアルコール依存症者たちという意味で、アノニマスは「無名の(匿名の)」という意味です。ですからアルコホーリクス・アノニマスとは「無名の(匿名の)アルコール依存症者たち」という意味になります。セルフヘルプグループとは、共通の問題を抱えた者どうしが集まって、支えあっていく集団のことです。その原型は、アルコール依存症者の自助グループAAにあります。

それではAAとは、どのようなセルフヘルプグループなのでしょうか。AAの回復プログラムは、「12のステップ」と呼ばれるものに基づいていますが、「12のステップ」のうち最初の三番目までが重要ですので、最後の12番目のステップとあわせて引用したいと思います。

下記の引用は「日本ダルク」の「NAの12ステップ」からです。アルコールを薬物依存に変えているだけで、視点は同じです。

 

1 われわれは薬物依存に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。

2 われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気(健康的な生き方)に戻してくれると信じるようになった。

3 われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤー・パワー(higher power)の配慮にゆだねる決心をした。

(中略)

12 これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話を薬物依存者に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。[3]

 

日本ダルク代表の近藤恒夫氏の記述を引用しながら、この12ステップへの理解を深めたいと思います。

 

すべて過去形になっていることに注目してほしい。12のステップは、自分がこの段階を実践できたことにあとで気づかされるかたちになっている。[4]

ステップ1の「われわれは薬物依存に対して無力である」というのは、すでに述べた「クスリと闘おうとするな」ということだ。

初めてこのステップ1を聞いたときにはさっぱり意味がわからなかった。「そんなことより、今すぐ覚せい剤をやめる方法を教えてくれ」というのが正直な気持だったし、「オレはそのうち自分の意志の力で覚せい剤をやめてやるんだ」という気負いのようなものもあった。

そのあたりが十分に腑に落ちないまま、とりあえず毎日3回のミーティングには通っていたのだが、相変わらず幻聴、耳鳴りはやまないし、周りの仲間たちに比べても自分の病気がよくなっている実感がさっぱりない。そんな日々が約一年間続いたころ、これではひょっとしたら何年やってもダメかもしれない、というあきらめのような気持がわき上がってきた。同時に、ようやく自分の無力さを認めるということがわかったというのだろうか、現実を認めざるをえない境地に達した。ちょうどそのころから、クスリをやめ続ける精神的苦しさがグッと軽減されるようになった。[5]

 

自分の意志の力ではアディクションをコントロールすることはできないという「あきらめ」の気持が生じたとき、はじめて現実を受け入れることができ、アディクションから解放されることの苦しさが軽減されるようになるのです。

 

ステップ2は「自分以外の力が必要だと信じるようになった」ということだ。私の場合、自分のすべての問題を解決してくれるのはクスリだと信じていた。しかし、病院や拘置所を出たあと、仲間たちの話に耳を傾けているうちに、自分は彼らに助けられていると感じるようになり、仲間たちを信じられるようになった。「回復の95パーセントは仲間たちの話を聞くことによる。信じるという漢字は、“人に言う”と書くでしょう」とロイさん[6]は言っていた。[7]

 

「自分以外の力」とは同じアディクションを共有する仲間です。回復へのプロセスの95パーセントは、「仲間たちを信じ」、「仲間たちの話を聞くこと」によるのです。

ステップ3の「ハイヤー・パワー」と12の「霊的に目覚める」ことについて、近藤氏は次のように説明しています。

 

「霊的に目覚める」の意味はむずかしい。“霊的”は英語の「スピリチュアルspiritual」だ。人間にはボディ(=身体)があって、マインド(=心や思考)があって、さらに奥の芯の部分にスピリット(=魂あるいは自我)という霊的な何かがあるという考え方から来ている。薬物依存から立ち直るには、身体や精神の回復だけではなく、霊的な部分の回復まで必要だということだ。

これら12のステップは、私たちは自分を超える大きな力に助けられ、生かされており、それに自分をゆだねるべきだという考えを前提にしている。その力を「ハイヤー・パワーhigher power」と呼ぶ。[8]

 

精神と物質を分離して考えるデカルト的二元論では、「霊的に目覚める」とか「ハイヤー・パワー」などという概念を理解することはむつかしいでしょう。

ここで前回の講義を思い出して見ましょう。生態学者のグレゴリー・ベイトソンは、木を切るきこりや杖に導かれる盲人のたとえで、精神と物質を分離することはできないことを指摘しました。きこりや盲人にとっての自己は、自己の動きを決定する「システム全体のサーキット」の中にしか存在しないとするのです。

この自己の動きを決定する「システム全体のサーキット」を自覚的に対象化することができるのなら、それは自己という存在を超える「ハイヤー・パワー」ということになり、そのハイヤー・パワーに包まれて動かされている自己、あるいは動いている自己を自覚的に対象化できたときは、「霊的に目覚める」ことになるわけです。

第3回目の講義「子どもという存在(2)」では、近代以前のヨーロッパの宇宙観に少しだけ触れました。近代以前、深い森に包まれて生活していたヨーロッパでは、深い森こそがマクロコスモス(大宇宙)であり、人間の世界はマクロコスモスに包まれたミクロコスモス(小宇宙)として存在するという宇宙観がありました。

子どもという存在は、そのマクロコスモスとミクロコスモスをつなぐ媒介として見られていたのです。このマクロコスモスと人間世界との連続性が断ち切られたときに、〈子ども〉は誕生します。逆に見るなら、17世紀末に〈子ども〉という存在が誕生するまでは、西欧社会においても、マクロコスモスに包まれて人間社会は存在していたといえるのです。

このマクロコスモスを物質世界として分離し、ミクロコスモスだけを拡大したのが近代社会だといえるでしょう。その意味で「ハイヤー・パワー」という言葉は、マクロコスモスの復活を告げる言葉だといえます。

 

近代的自己の解体

AAのプログラムで特徴的なことは、徹底して個人であることを求めるとともに、個人であることにまつわる近代的な意義づけを解体しているということです。近代的自己の解体ということです。

AAのアノニマスという言葉は、「無名/匿名にとどまる」ということを意味しています。「無名/匿名にとどまる」ということは、何をあらわすかというと、名前にまつわる社会的地位を求めないということになります。社会的地位が必要とされないコミュニティにおいては、何が個人をあらわすのかというと、外的な刻印です。

たとえば、タトゥー(刺青)などがそれにあたります。そこではタトゥーが個人をあらわすことになり、タトゥーに表象されたネームで呼ばれることになります。狩猟採集のバンド社会であれ、現代のタトゥーであれ、タトゥーは個人を表象するものであるとともに、本名とは異なるネームであるといえましょう。

タトゥーは外面に刻印され、そのことによって、個人の内面性は表出されます。外面が個人の人格となるのです。そのことによってマクロコスモスとミクロコスモスを隔てていた個人の内面性(近代的自己)は除去されます。外的な刻印によって、自己はマクロコスモスとミクロコスモスと交信し、自己に連続性がもたらされるのです。

アディクションの場合、外的な刻印は、「アディクションである自己」ということになります。AAにおいては、依存症者が「無名/匿名にとどまる」ことにより、「アディクションである自己」という自己を、タトゥーを施すように外的に刻印し外面化します。

そのことは「わたしとは何者か?」という近代的な問いから解放されることを意味します。「わたし」が匿名であるとき、「わたし」は近代的な問いから逃れ、伝統的社会において普遍的にみられた演劇性を獲得することになります。演劇性とは「わたし」の外面化なのです。

たとえばセルヘルプグループでは、「こんにちは、アル中のケンです」と名乗ることからはじめます。そうすると会場からは「ハーイ、ケン」というレスポンスが返り、仲間として受け入れられます。「アル中のケン」は内面性としての「わたし」ではなく、外面性としての「わたし」です。

「わたし」を外面化することで、セルヘルプグループとしてのコミュニティが成立します。コミュニティが成立するとき、マクロコスモスとの連続性が確保されます。マクロコスモスとの連続性にあるとき、ミクロコスモスである人間は、演劇性として自己を認識することになります。それがAAのなかでの「語り」です。

演劇性とは何かというと、外から見られた自分の姿です。それは他人という人間に見られた自分の姿でもありますが、同時に、マクロコスモスから見られた自分の姿でもあるわけです。マクロコスモスから見られた自分の姿があることによって、クオリティの高い演劇性が確立されます。

もし自分の苦悩を語るだけ、あるいは自己賞賛を求めるだけでしたら、演劇性は低いものとなります。マクロコスモスに包まれ、マクロコスモスから見られることによって、演劇性はクオリティの高いものになるのです。

AAの「12のステップ」は祈りの姿勢を強調し、きわめて演劇性の高いものだといえるでしょう。しかしそのような演劇性によって、はじめて近代的自己から解放され、アディクションの呪縛から解放されるのだといえるでしょう。

AAの「12のステップ」では、冒頭に「われわれはアルコールに対し無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。」という確認から入ります。アディクションに対して無力であることを認めるという自己認識から、回復プログラムは始まるのです。

ここで重要なことは、「認めた」という過去形からスタートすることです。完全なギブアップ宣言です。ここからスタートするのです。ギブアップ宣言の次には、「われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった。」という仲間の力とハイヤー・パワーの肯定があります。

これは、近代的自己の解体だともいえるでしょう。近代的自己は、理性や意志により世界を対象化し、再編成してきました。理性や意志を前提として近代社会は形成されてきたといえるでしょう。しかし理性や意志によるコントロールが効かないものとして、近代社会にアディクションが登場することにより、近代的知の枠組みは解体することになるといってもよいでしょう。

近代的知の枠組みが解体することによって、ハイヤー・パワーという超越的な力が出現するのです。超越的な力というと、イメージしにくいかもしれませんが、近代を除く人類史においては、超越的な力とともにあることが普遍的な形態であったのです。逆に近代という時代だけが、超越的な力を、知的に認めることができない時代であるといえるでしょう。

伝統的な社会においては、個人はそれ自体で完結した世界を構築することなく、マクロコスモスのなかのミクロコスモスとして認識されていました。個人は閉ざされたものではなく、マクロコスモスの一部を構成するものとして考えられていたのです。

近代の知の枠組みは、マクロコスモスとミクロコスモスの連続性を切断することによって成立したととらえることができます。それが理性や意志と呼ばれるものです。この近代的な知の枠組みを解体することによって、マクロコスモスとミクロコスモスは再び連続性を取り戻すことになります。

 

アディクションからの回復

アディクションからの回復には、「底を極める」ことが必要だとされています。「底を極める」までに至る状態を、臨床心理士信田さよ子は、「『コントロール不能になるまでコントロールする』という逆説」と表現しています[9]。信田はアディクションをセルフコントロールという幻想に取り付かれた状態だと見ます。

 

これは他者も自分もそして自分の体も、自分の力で変えることができるという幻想である。それは、変わらなければ自分のコントロールが足りないからだという結論になり、意志の力の不足になる。

その端的な例が摂食障害である。彼女たちは、自分の身体を、食物や食欲をコントロールすることでコントロールしていく。食欲を抑えることで枯れ木のようにやせ細った手足を彼女たちは誇らしげに人目にさらす。それこそが自己の意志の力の勝利なのだ。食欲をコントロールできず醜くふとった世の男女を横目で見て、勝利の快感に浸る。

セルフコントロールの極地はあのような身体である。とすればアルコール依存症もセルフコントロールを果てしなく追い求めて破滅に向かうという点ではまったく同様であろう。[10]

このようにとことんまで飲む、痩せる、というアディクションをきわめることで転機が訪れる。この転換点を「底つき」という。[11]

 

アディクションに浸っている人たちをみていると、あたかも多すぎる選択肢をみずから一つずつ消していっているのではないかと思わされる。身をまかせればどこかに行きつくであろうとやりつづけ、そして究極にいたって生か死かという地点に達する。選ぶことの不安のない地点、それこそが彼らが彼女たちが初めて手にするどうしようもない現実なのだ。それはしかし選択というセルフコントロールを超える地点でもある。その地点をどこかで望んでいたのではないかとさえ思われるのである。[12]

 

この生か死かという選択の余地のないパニック状態である「底つき」が、アディクションからの回復には重要な転換点だと見られています。この底を極めることと回復との関係を、ベイトソンは、ダブルバインド[13]という概念を使って説明しています。

 

「底が極まる」という現象に、AAは非常に大きな価値を与えている。落ちるところまで落ちていないアル中患者は、救われる見込みが少ないとされる。ふたたびアルコールへ戻っていく人間のことを、彼らはよく「まだどん底まで落ちていない」という。(中略)しかし、一度絶望の淵を覗いたくらいでは、何も変わらないのがふつうである。「どん底」でのパニックは、事態好転のきっかけを与えるにすぎないものであって、それを引き起こすものではない。[14]

 

「底つき」はアディクションからの回復に欠かすことのできない重要な要素ではあるが、それは「事態好転のきっかけを与えるにすぎない」とベイトソンはいうのです。この「底つき」を、近代的自己に課せられたダブルバインドだと理解し、異なる答えを出すことが必要とされるとみているのです。

ベイトソンがいうダブルバインドは、答えの出しようのない問いを突きつけられて、その問いを超える答えを出す必要があるということです。説明がむつかしいので、ベイトソンのたとえを一つ引用しましょう。

 

禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」分裂症の人間はたえずこの弟子と同じ状況に身を置いているという感触をわれわれは抱いている。しかし彼は「悟り」とは逆の、「混乱」の方向へと導かれる。禅の修業僧なら、師から棒を奪い取るという策にも出られるだろう。[15]

 

この禅の師は、どちらに答えても「打つ」という問いを出すわけです。そのダブルバインドに対する答えは「師から棒を奪い取る」ということでもあるわけです。答えることができなければ、「分裂症」からの回復を期待することはできませんが、高次の答えを出すことができるのならば、禅でいうところの「悟り」の段階に達することができるわけです。

 

最後に、「どん底」の体験とダブルバインドの体験との複雑な関係について触れておきたい。ビル・Wは、1939年に医師ウィリアム・D・シルクワースから、おまえのアル中はもう直らないと宣告され、そこで「絶望の底」を味わったと書き記している。これはAAの歴史の第一ページとされる出来事である。それについてビル・Wがどう述べているか引用しよう。「〔シルクワース氏は〕われわれアル中患者の強靭な自我に穴を穿つ武器を与えてくれた。われわれの陥った病を描写する彼の言葉には、大きな破壊力が秘められていた。われわれの肉体のアレルギーが狂気と死へわれわれを追いやっている一方で、われわれの精神の強迫観念が飲酒へとわれわれを駆り立てていることを彼は宣告したのである。」ここで医者は、「心」と「体」を分離する患者のエピステモロジー〔認識論〕の上に、強力なダブル・バインドを仕掛けている。この言葉は、患者を繰り返しジレンマに突き返すものだ。もはや自分の意志では何も解決できない―――深く無意識なエピステモロジーが変化するという「霊的経験」を通して、医者の破滅宣告が無効になるのを待つしかない―――という状況に。[16]

 

ここで仕掛けられたダブルバインドは、「おまえはアルコール依存だ」という宣告と、「もう治らない」という宣告です。

つまり「おまえはアルコール依存だから飲み続けるしかない」というバインドがかけられ、「アルコール依存は治しようがないので死ぬしかない」というバインドがかけられるわけです。ビルがこのダブルバインドを解くためには、アルコール依存を治すのではなく、『霊的経験』を通して世界観を変える必要があったわけです。

AAは、このビルの『霊的経験』を歴史の第一ページとします。ダブルバインドを「治療」で解くのではなく、『霊的経験』を通して、新しいコミュニティを形成するという高次な答えで解いていくのです。その高次の解決が、アディクションという意志の病を解くことになるのです。

 

 

【参考文献】

近藤恒夫『拘置所タンポポ』2009年、双葉社

野口裕二『アルコホリズムの社会学』1996年、日本評論社

信田さよ子アディクションアプローチ』1999年、医学書

グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)『精神の生態学』1972=2000年、新思索社

 

脚注

[1] イヴァン・イリイチ(1926 - 2002年)は、オーストリア、ウィーン生まれの哲学者、社会評論家、文明批評家である。現代産業社会批判で知られる。著書に『シャドー・ワーク』『ジェンダー』『脱学校の社会』などがある。

[2] ギリシア神話で、宇宙開闢のとき真っ先に生じた「原初の巨大な空隙」のこと。

[3] 近藤恒夫『拘置所タンポポ』162ページ。

[4] 同前163ページ。

[5] 同前163‐164ページ。

[6] ロイ・アッセンハイマー──メリノール宣教会司祭。1938年アメリカ合衆国ペンジルバニア生まれ。1965年来日。布教活動を行う傍ら、1975年札幌市と帯広市アルコール依存症者の回復施設・「メリノール・アルコール・センター」を開設。1985年にダルク開設を支援。近藤氏とともに薬物依存症者の回復支援に尽力。2000年アパリ初代理事長に就任。2005年脳出血で死去。

[7] 同前164‐165ページ。

[8] 同前169‐170ページ。

[9] 信田さよ子アディクションアプローチ』58ページ。

[10] 同前59ページ。

[11] 同前60ページ。

[12] 同前60ページ。

[13] ベイトソンを中心とする研究班が、1956年に発表した分裂病の病因と治療に関する学習理論。(1)ある抜き差しならない関係(典型的には母子)において、(2)第一次の禁止命令(例:「これこれをするな」)と、(3)それと矛盾する、メタレベルの禁止命令(例:「何をしたら怒られるかといちいち考えるな」)の並存が、(4)そのコミュニケーション・パターンの特徴として繰り返し現われるとき、関係の一方に身を置くものが、分裂病的行動を身につけるというもの。したがって、その治療も、創造的・建設的なダブル・バインドの中で遂行されなくてはならないとされる。分裂病の単位を個人ではなく関係(家族のエコロジー)であるとする点と、ユーモアや芸術などを含めて、複数のコンテクストが絡む現象一般を取り込む広さを持っている点、これは単に分裂病の理論というより、そのような問題へ接するさいに必要な、認識論的転換の提唱というべきであろう。(見田宗介、栗原彬、田中義久(編)『社会学事典』弘文堂、1994)

[14] ベイトソン『精神の生態学』444‐445ページ。

[15] 同前296ページ。

[16] 同前447ページ。

アディクションとコミュニティ⑴

 

 

アディクションとは

アディクションaddictionとは、日本語では嗜癖といわれるものです。嗜癖とは、一般的な辞書では「あるものを特に好きこのむ癖」と説明されますが、もう少し厳密にいうと、ある対象(物質、もの、人、行為)に対して「のめり込む」、または「はまる」こと、加えてその「のめり込む」をコントロールできなくなることです。つまり、コントロール不全のために、「好き」「好む」の程度や、その結果としての行為が、常識を逸脱した状態のことをいいます。

アディクションは、以下のように分類されています

 

  1. 物質への依存(ニコチン依存症、摂食障害、薬物依存症、アルコール依存症など)、
  2. 過程への依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症など)、
  3. 人間関係・関係への依存(共依存恋愛依存症など)、

 

アディクションは現代の社会構造や家族形態が生み出した病理で、本人の意志では克服することのできない病だとされています。ところがアディクションを病だと捉える見方は、医療関係者も含めて、いまだに一般知識として共有されているとは言いがたい状況にあります。

アディクションが病だと認知されるのは、多くの場合、家庭生活や社会生活の破綻という現実に追い込まれてからです。しかし、そのように病だと認知された場合でも、病因を本人の個人的資質に求める場合が少なくありません。

アルコール依存症の問題を、サイバネティックス[1]の立場から解明しようとした生態学者のグレゴリー・ベイトソンは、アルコール依存症に対する世間の見方を次のように述べています。

 

アルコール依存症の“原因”または“理由”を、アルコールが入っていないときの患者の生活の中に探るべきであるとする考えが、一般の風潮としてある。あの人は───醒めた状態で───“未熟である”“マザコンである”“口愛的である”“同性愛的である”“受動‐攻撃的である”“成功への不安にとりつかれている”“神経過敏である”“プライドが高すぎる”“つきあいが良すぎる”あるいは単に“弱い”、だから酒に溺れた、という言いかたがされる。[2]

 

これは「“自己”なるもののサイバネティックス───アルコール依存症の理論」(1971年)という論文中で述べられたものですが、この文中のアルコール依存症アディクションに置き換えるなら、アディクションの現状に対する、一般の見方だということができるでしょう。つまり患者本人の資質の中に病因があるとする見方です。

この講義では、アディクションの病因を個人の資質に帰すような見解を採ることはありません。そうではなく、アディクションは近代社会にセットされた罠であり、その罠を生み出す母体となったのは、近代家族という家族形態であったという視点に立って、アディクションという病理にアプローチしたいと思います。

 

前述したアディクションの分類に含まれる項目の多くは、本来社会的な価値を有するか、社会的に賞賛を浴びる行為とされるもので形成されています。

たとえば煙草は南北アメリカ大陸を原産とするものですが、インディアンにとって「パイプでタバコを吸う」という行為は、パイプから天上へ立ち昇る煙を通じて「大いなる神秘」と通信し、会話するということを意味していました。ですからパイプは、インディアンの社会の中で、ありとあらゆる決めごとや物事の節目に用いられるものでした。儀式の前にはパイプを天に捧げもって誓いを立て、また和平交渉や取引の際にはこの聖なるパイプが回し飲みされるのです。

天上の「大いなる神秘」とパイプを通じて誓いを立てるわけですから、このときに交わした約束を破ることは絶対に許されないことでした。インディアンたちにとってのパイプは、白人にとっての聖書と同じ意味合いを持っており、インディアンのメディスンマン(呪い師)は必ずパイプを携行しています。パイプは異部族間のパスポートであり、それ自身が和平のしるしだったのです。

ですから喫煙は、本来は天上の「大いなる神秘」と通信し、和平交渉に用いられるという社会的価値を有していたものですが、現代ではアディクションとして扱われます。

もうひとつ例を挙げると、共依存(Co-Dependency)があります。共依存とは、共働で依存しあっている、あるいは従属しあっている関係性をあらわす言葉で、「依存症者の脅しに屈する」「トラブルを肩代わりする」「依存症者の感情を刺激する」「問題を隠す」などという行動により、アディクションを手助けする人たちのことをいいます。つまりアディクションの被害を受けている人たちも、無意識のうちにアディクションを手助けする役割を果たしてしまっているのだということです。それが共依存です。この共依存の関係性は、親しい友人や恋人、情愛に満ちた家族によくみられる関係性です。

友人や恋人、家族を守る上記のような行動やふるまいは、その多くが、かつては社会的に賞賛を浴びる美談とみなされていました。ところが、そのような行動やふるまいが、逆にアディクションを助長する共依存であることが明らかになってきました。かつての美談が、現在では逆にアディクションを助長するだけのものに変わってしまったのです。

アディクションに共通するものは、コミュニティを維持するのに必要とされる、一時的な酩酊状態や競争による興奮状態を招き寄せるものだということができます。つまり本来コミュニティに必要とされた賞賛を浴びるべき行為の多くが、現代社会ではアディクションとされるようになっているということです。

コミュニティに必要とされた行為がアディクションに変換されたとするならば、同じ行為のもたらすものが、個人がコミュニティとのつながりを保っている間は賞賛されるべきものであり、個人がコミュニティとのつながりを喪失した場合には、アディクションとして否定されるということになります。そうすると、ある行為が賞賛されるべき行為であるのかアディクションになるのかという分かれ道には、個人とコミュニティとのかかわりが重要な位置を占めているのだということになります。

アディクションの基となる行為が、コミュニティとつながることによって賞賛され、コミュニティとのつながりを失うことによって否定されるのならば、再びコミュニティとのつながりを見つけ出すことによって、アディクションから解放されるのだということができるでしょう。

ところが、アディクションの病因を個人の資質に求め、アディクションからの解放を個人の意志力に求めるのなら、アディクションから解放されることはないといえるでしょう。アディクションが、個人がコミュニティとのつながりを喪失した場合に発生するものならば、コミュニティへの参加を抜きにして、アディクションの呪縛からの解放はないということになります。

それならばコミュニティと個人とのかかわりを、どう理解し、どのように再構築するかという方向性を探ることができるでしょうか。このことを二回の講義を通して考えてみたいと思います。

 

「自己」なるもの

ベイトソンは、アディクションに苦しむ人の〈酔っている〉状態にエラーがあるのではなく、むしろ〈醒めている〉状態のほうにエラーがあるのであり、〈酔い〉はそのエラーを矯正するものだとします。

 

彼の〈醒め〉のありかたが、飲酒へと彼を追いやるのだとしたら、その〈醒め〉には、なにかしらのエラー(「病」と呼んでもいい)が含まれるはずだ。そのエラーを〈酔い〉が、少なくとも主観的な意味で「修正」しているはずである。つまり間違っているのは彼の〈醒め〉の方であり、〈酔い〉の方は、ある意味で“正しい”ということになる。[3]

 

つまりアディクションに苦しむ人が、繰り返しアディクションに陥るのは、醒めている状態のほうに何らかのエラーが含まれているということです。そのエラーを修正するためにアディクションを繰り返すわけですから、少なくとも本人にとっては、アディクションの状態のほうが「ある意味で“正しい”」のだということになります。

それでは、醒めた状態のどこにエラーがあるのでしょうか。ベイトソンは、アディクションを克服しようとする意志力にこそ問題があるのだとします。

 

依存症の人間をかかえた家族や友人は、「もっと強くなれ」「酒の誘惑に打ち勝て」と叱咤する。これらの言葉が、現実に何を意味するのかは定かでないが、重要なのは、依存者自身が───醒めているあいだは───自分の「弱さ」にこそ「問題」があるのだと、一般に考えている点である。彼は「わが魂の指令官」になれると、少なくともそれがあるべき姿だと信じている。しかし、「最初の一杯」のあとはもう、飲酒を止める動機が完全に消滅してしまうということは、アルコール依存症の常識だ。意識レベルで彼の「自己」は(典型的には)、「ジョン・バーリィコーン」〔アルコールの人格化〕との泥沼の戦いに巻き込まれているのである。(中略)〈醒め〉のみを指揮し、しかも裏切られてばかりいる───これがどうも「指令官」の実の姿であるらしい。[4]

 

醒めた状態では、本人も自分の意志をコントロールできると信じています。しかし「最初の一杯」で、意志はコントロール不能に陥ります。そうであるならば、自分で自分の意志をコントロールできるという、醒めた状態の認識に、エラーが含まれているということになるのです。

 

彼らが認めようとしない、あるいは認めることができないのは、酔っていようが醒めていようが、アルコール依存者の自己の全体が、「アル中パーソナリティ」なのであり、そういう自己が、アル中と「戦う」などということは、それ自体矛盾なのだという点である。[5]

 

ここでエラーの理由が明かされます。それは「自己」のとらえかたです。ベイトソンは「アルコール依存者の自己の全体が、〈アル中パーソナリティ〉」なのだととらえます。この〈アル中パーソナリティ〉をベイトソンは、コントロールを失い暴走する車にたとえます。

 

「底を極めた」アルコール依存者のパニックは、自分がコントロールしていたと思っていた乗り物が、暴走を始めたことを知った人間のパニックである。「ブレーキ」だと思っていたものを踏むと、車はさらにスピードを増す。そのとき人は、「自分プラス車」という、どう見ても自分より大きなシステムの存在を、パニックとともに知るのである。[6]

 

この暴走する車が「自己の全体」なのです。この「自己の全体」に含まれる一部分である「自己」が、「自己の全体」に向かって戦いを挑むこと自体が矛盾する行為だといっているのです。エラーは、この「自己」と「自己の全体」を分ける考え方にあります。ベイトソンは、「自己」と「自己の全体」を分けることはできないことを、さまざまなたとえ話で説明します。

 

きこりが、斧で木を切っている場面を考えよう。斧のそれぞれの一打ちは、前回斧が木につけた切り目によって制御されている。このプロセスの自己修正性(精神性)は、木―目―脳―筋―斧―打―木のシステム全体によってもたらされる。このトータルなシステムこそが、内在的な精神の特性を持つのである。

正確には、次のように表記しなくてはならない。[木にある差異群]―[網膜に生じる差異群]―[脳内の差異群]―[筋肉の差異群]―[斧の動きの差異群]―[木に生じる差異群]……。サーキット[7]を巡り伝わっていくのは、差異の変換体の群れである。その差異のひとつひとつが「観念」───情報のユニット[8]───であるわけだ。

ところが西洋の人間は一般に、木が倒されるシークェンス[9]を、このようなものとは見ず、「自分が木を切った」と考える。そればかりか、“自己”という独立した行為者があって、それが独立した“対象”に、独立した“目的”を持った行為をなすのだと信じさえする。[10]

 

 

西洋的思考のひとつにデカルト的二元論[11]というものがあり、物質的自然の領域と心(あるいはたましい)の経験に関する領域は全く無関係なものとして区別されます。きこりがその立場にたつと、斧で木を切っている場面を、「自分が木を切った」と表現することになります。

ところがベイトソンは、そのような独立した「自己」などありえないとするのです。きこりは斧を振り下ろすかもしれませんが、その斧が振り下ろされる先は、「前回斧が木につけた切り目によって制御されている」のです。つまり自己が対象になんらかの作用を加えると同時に、自己も対象によってコントロールされているということです。そのような相互作用の連続する全体として「自己の全体」が存在するということです。

デカルト的二元論による「自己」のあやうさを、ベイトソンは盲人の杖というたとえで説明します。

 

「自己はどこにあるか」「その境界はどこか」と誰に尋ねても、一様に混乱した答えがきっと返ってくるはずである。あるいは、杖に導かれて歩く盲人を考えても面白い。その人の自己は、どこから始まるのか。杖の先か、柄と皮膚の境か、どこかその中間か。こんな問いは、土台ナンセンスである。この杖は差異が変換されながら伝わってゆく経路の一部分にすぎない。それを横切る境界線は、盲人の動きを決定するシステム全体のサーキットを切断してしまうものだ。[12]

 

「杖に導かれて歩く盲人」にとっての自己なるものの境界線は、どこに引くことができるのかということです。「杖に導かれて歩く盲人」という全体として自己を把握するのでなければ、どこで線を引こうとも、自己というシステム全体のサーキットを切断することになってしまうのです。

アルコール依存者にとっての「酒との戦い」も同じです。「アルコール依存者の自己の全体」に飲酒という行為が含まれますので、飲酒だけを「自己の全体」から切り離すことはできないのです。

 

帰謬法による証明

ベイトソンが主張するのは、精神と物体を分かつ二元論にエラーがあるのであり、アディクションはそのエラーを正すための帰謬法(きびゅうほう)的な証明であるということです。帰謬法は背理法(はいりほう)とも呼ばれ、ある命題が真であることを証明するため、その命題の「結論が偽である」と仮定して推論を進め、矛盾が導かれることを示す方法です。

精神と物体を分かつ二元論的思考のエラーを証明し、なぜアディクションが繰り返されるのかというメカニズムを解明するために、ベイトソンは、前言語的なレベルでの意思伝達方法から、問題を解いていきます。

 

夢のなかでも、動物の相互作用でもそうだが、前言語的レベルでは、それ自身の否定を含む命題(「オレはオマエを噛まない」、「オレはアイツを怖れない」)をストレートに得ることはできない。否定命題を獲得するには、まず「そうでない」とされる肯定形の命題を心に思い浮かべ、あるいは実演してみて、そのうえで、それが理に叶わないことを示していくほかはない。二匹の哺乳動物が「オレはオマエを噛まない」という意思伝達を行なう方法は、試験的な戦闘を―――「戦闘ごっこ」とも呼ばれる、ひとつの「戦闘でないもの」を―――実際やってみることなのである。友好的な挨拶の多くが、“戦闘”的行為から進化してきたことの理由は、そこにある。[13]

 

前言語的なレベルにおいて「噛まない」ことを証明するためには、まず「噛む」ことが必要とされます。その上で「本気じゃない」ことがわかると、「噛む」ことが「戦闘」を意味する行為ではなく、「友好的な挨拶」を意味するものに変化するわけです。

この前言語的な「戦闘ごっこ」は、ベイトソンが1969年に発表した「本能とは何か」という論文の内容を簡略にまとめたものです。ベイトソンのいう帰謬法をよりよく理解するために、その一部を引用します。論文では親子の会話という形で記述されています。Fが父親で、Dが娘です。

 

F 噛まないことを、どうやってしぐさで伝えるか。それは、噛まないんだ。「噛まないことをする」のさ。

D でも、他にだって、していないことはたくさんあるでしょう?寝ることも、食べることも、走ることもしてないかもしれないじゃない。「噛むことはしない」と言うときにはどうするの?

F なにかしらの方法で、「噛む」ということを話題に持ち出さなくてはならない。

D はじめに牙をむくしぐさをして、それで噛まないとか?

F そういうことだね。

D でもそれだと二匹の動物が、お互いに「噛まない」って言い合うときは、両方が牙をむくことになるでしょう?

F そうだね。

D だったら、誤解して、ほんとのケンカになってしまわない?

F そういうこともあるだろうね。自分の動作に対立観念が現われているのに、当の本人が自分のやっていることを認識していないんだったら、そういう危険がいつもついてまわる。

D 牙をむいた動物は、それが「噛まない」ということを相手に伝えるためだって、自分でわかるんじゃないかしら……

F それは疑わしいな。ともかく、相手がどういうつもりでいるかということは、わかりようがない。夢だって、今見ている夢がどういうふうに流れていくのか知ることはできないよ。

D 一種の実験ね。とにかくやってみるの。

F ああ。

D ケンカが必要かどうかを知るために、ケンカするの。

F ただし、それを知ることが目的でケンカするわけではない。ケンカのなかに、というか、ケンカのあとに、自分たちのあるべき関係が現われる、ということかな。そこに「ねらい」はないよ。

D じゃあ、動物たちが牙をむいている、そのときにはまだnotはでてきていないのね。

F いないと思うね。少なくとも、そういう場合がほとんどだろう。親しい友達同士なら、最初から「これは遊びだ」と知って取っくみ合いを始めることもあるかもしれんがね。

D ずいぶんわかってきたみたい。動物の行動にnotはない。なぜならnotは、人間の言葉に含まれるものだから。そしてnotがないから、否定を伝え合うには、帰謬法っていうの?―――否定されることを実演してみなくちゃならない。今の関係がケンカでないことを証明するのに、実際ケンカをしてみるとか、相手が自分を食べないことを証明するのに、食べられる体勢に入ってみるとか……

F うん。[14]

 

 

前言語的なレベルでは、噛まないという意志を伝えるには、まず噛んでみなくちゃならないということになるわけです。アディクションも同じように、アディクションの対象に向かうことにより、アディクションを否定しようとします。しかし結果は逆に出ます。アディクションが否定されるのではなく、アディクションをコントロールしようという意志のほうが否定されるのです。

 

こう考えていくと、アルコール依存者の“プライド”〔オレはできるぞ〕の持つアイロニー[15]が見えてくる。それは、自己をテストに駆り立て、“自己制御”などけっしてうまくいかない、馬鹿げた試みであることを帰謬法によって証明する、精神機構の現われと考えられるのだ。つまり彼の“プライド”は、“It won’t work.”〔自分の力を頼みにしても、うまくいきはしない〕という命題へ当人を導くことを、その隠れた(前言語的レベルでの)目的にしている。この命題は、単純否定を含むものだから、一次過程〔前言語的レベル〕の内部で表現することはできない。まず実際に、ボトルを手にするところから始めるほかはない。彼は想像上の他者である「ボトル」と勇壮な戦いを開始し、それがいつのまにか「友愛の接吻」になっていることを知るのである。[16]

 

帰謬法の命題は、「オレはできるぞ」ではなく、「自分の力を頼みにしても、うまくいきはしない」ということだったのです。それを証明するために「自己をテスト〔飲酒〕に駆り立て」るのです。

 

“自己制御”のテストの結果、当人が必ず飲酒に戻っていくという事実は、この仮説を支えるものである。しかも彼が生きるのは、まわりの人が、寄ってたかって「もっとしっかりしろ、自分をコントロールしろ」という自己制御のエピステモロジー〔認識論〕を押しつけてくる環境なのだ。だとしたら、その、自己制御なるものの無効性を示すアルコール依存者の行動は、「正しい」ということにならないだろうか。依存症に陥っていること自体、世間一般のエピステモロジーの誤りを、身をもって、帰謬法的に、証明していることになるのである。[17]

 

アルコール依存者のまわりの人が、本人に「もっとしっかりしろ、自分をコントロールしろ」といっているのに、アルコール依存者は自分が酒に飲まれていないことを証明するために酒を飲み、酒に溺れます。このメカニズムは、自覚を促がせばアルコール依存が止まる、あるいは本人が反省すれば立ち直るという思い込みが誤りであることを証明するものです。

アディクションとされる行為は、ダブルバインドだということがいえるでしょう。小さな子どもたちが仲間と遊ぶとき、ケンカになることがよくあります。そうしたケンカの繰り返しの中で、子どもたちは仲良くなるのです。それは前言語的レベルでの意思伝達と同じです。噛むことによって噛まないことを伝達するのです。その子ども仲間の関係性は、近代以前のコミュニティにおける人間関係と同じだとみてよいでしょう。

近代以前のコミュニティにおいては、噛むことによって噛まない意思を伝達しました。前々回の講義で触れた、南風原町喜屋武の喧嘩綱も同じです。噛むことによって噛まないという意思は伝達されるのです。ところが個人がコミュニティとのつながりを失うとき、噛むことは危険な行為になります。そのため噛むことは禁じられ、綱引きならば綱を引くだけの競争になります。

ところが競争だけになったとしても、人間は、前言語的レベルにあった信頼関係を忘れることはできません。むしろ、孤立感が増すにつれて信頼関係を求めるようになるでしょう。そのとき、「戦闘ごっこ」が復活します。「想像上の他者である『ボトル』と勇壮な戦いを開始し、それがいつのまにか『友愛の接吻』になっていることを知る」のです。

 

アディクションを生み出す近代家族

ベイトソンアディクションの発生するメカニズムを、精神と対象を分離して考えるという、西洋的思考法に求めました。そのように、精神(心的実体)と対象(物理的実体)とを分離して考える二元論的思考法は、17世紀の西ヨーロッパで発達します。

17世紀の西ヨーロッパでは家族意識が確立され、「家族の肖像画」が大量に製作されるようになります。その家族意識の確立の時期と二元論的思考法の確立の時期は、同時期です。家族意識の確立によって、家族は地域コミュニティからの引きこもりを開始します。それはプライバシーの確立であり、「自己」の確立にもつながります。

このように地域コミュニティから隔離された家族というプライベートな空間の中で、17世紀末に、子ども期としての〈子ども〉が誕生します。かつて子どもは、マクロコスモス(大宇宙)としての異界や他界と、ミクロコスモス(小宇宙)としての人間の世界をつなぐ中間的な存在でした。ところが、子ども期としての〈子ども〉が誕生することにより、子どもは家庭の中に囲い込まれることになります。子どもが家庭に囲い込まれることにより、家族は、マクロコスモスとのつながりが絶たれたのだとみてよいでしょう。

子ども期としての〈子ども〉の誕生に引き続く18世紀には、乳児を農村に里子に出すか、あるいは孤児院に捨てるという習俗が、ブルジョワジーだけではなく、都市のすべての階級に普及するようになります。

そして18世紀末から19世紀にかけて、ロマンティック・ラヴ(恋愛)によって結婚するという習俗が、ブルジョワジーの間で広まっていきます。このロマンティック・ラヴによる結婚の流行と同時期に、女性の財産の継承権や社会的活動が大幅に制約されるようになり、男性は外で働き、女性は家庭を守るというジェンダーが確立されていきます。そのことによって女性は家庭に囲い込まれることになります。その時期に、母性愛が称揚されるようになり、女性には母性愛という〈本能〉が備わっているとみなされるようになります。この女性の家庭への囲い込みと母性愛〈神話〉の確立により、乳児を里子に出したり、孤児院に捨てるという習俗は減少していき、母親の母乳による育児が増加していきます。

そして19世紀には、子ども部屋をもうけることが普及し、19世紀後半には、子ども部屋における「子どもの世界」が誕生することになります。この「子どもの世界」の誕生により、①子ども中心主義、②ロマンティック・ラヴによる結婚、③母性愛、という近代家族の枠組みが完成することになります。

この19世紀後半に、西ヨーロッパのブルジョワジーの家庭で完成した近代家族は、20世紀をかけて民衆化し、日本をはじめとする後発地域の家族モデルとなっていきます。

このような近代家族が形成されていくプロセスは、地域コミュニティや親族ネットワークからの家族の引きこもり現象と対応するものでした。そうすると、かつての地域コミュニティや親族ネットワークにおいて、社会的価値を有し、賞賛を浴びるべきものとされた行為や行動が、アディクションへと反転することになります。

そこに近代社会にセットされた罠があります。その罠を生み出す母体となったのは、近代家族という家族形態であったといえます。

近代家族には地域コミュニティや親族ネットワークから孤立があります。近代家族が完成した19世紀後半のイギリスのヴィクトリア時代(1837‐1901年)の家族像を、イギリスの歴史学者ローレンス・ストーン[18]の『家族・性・結婚の社会史』(1977年)の記述から拾い上げてみましょう。ストーンは、近代家族において女性が社会的に孤立するようになり、存在感が空疎なものになっていったと述べています。

 

妻は、親族との絆が弱まったことによって、以前は夫の下での生活に順応するという困難な仕事や、子育てとか子どもの世話といった難しい仕事に際して利用することができた濃密な外的助力から引き離された。今や彼女は、夫婦喧嘩の際の味方や、深刻な性格の不一致が生じた場合の助言者を他に求めることができなくなった。子守りや教育という負担を共有してくれる親類の人々がいなくなったため、子どもたちがまだ幼いあいだの彼女の生活は、非常に孤立的で退屈なものになった。そして、子どもたちが家を出る頃には、今や彼女の存在感は非常に空疎なものになっており、社会的あるいは経済的な職務というものをなくしてしまっているのである。[19]

 

地域コミュニティや親族ネットワークから孤立することにより、女性にとって育児は「非常に孤立的で退屈なもの」になり、子育ての後「彼女の存在感は非常に空疎なもの」となります。そして「社会的あるいは経済的な職務」を喪失した存在になるのです。

母親の孤立感と空疎感の反動として、家族的な情愛は、「爆発的親密性」と呼ばれるほど濃厚なものになります。ストーンは、近代家族が女性と子どもの抑圧の上に成立すると述べ、近代家族の緊密で濃厚な情緒的結びつきが、「爆発的親密性」であることを指摘しています。

 

しかしながら、中産・下層階級にはヴィクトリア時代風の家族に固有ないくつかの特徴があった。ひとつは、歴史上最初に見られた永続的であると同時に親密でもあった家族類型であった。(中略)こうした永続性のある家族単位の中で、妻と子どもの抑圧と、その道徳的安寧に対する強烈な情緒的および宗教的関心との結びつきが発達した。妻を服従させることと、子どもの性格と自律的な心理的動因を打ち砕くことは、家族の全構成員の情緒生活の全体が、ほとんどもっぱら核家族という境界線内に集められているような状況において生じたことである。こうした家族類型の心理力学(サイコ・ダイナミックス)は、適切にも「爆発的親密性(explosive intimacy)」ということばで言い表わされてきた。[20]

 

孤立感と空疎感に包まれた中での「爆発的親密性」は、アディクションを生み出す母体になるといってもよいでしょう。

「爆発的親密性」の中においては、「戦闘ごっこ」は封印されます。「戦闘ごっこ」が「ケンカのあとに、自分たちのあるべき関係が現われる」ためになされるとするならば、「爆発的親密性」の中における、リアルな「自分たちのあるべき関係」が現われてはならないのです。前々回の講義「母性愛という神話(2)」で触れたように、子どもは母親の真意を理解してはならないのです。その真意は、家庭に囲い込まれた状況での子育てによる、母親の孤立感と空疎感であるからにほかならないからです。

 

 

【参考文献】

ローレンス・ストーン(北本正章訳)『家族・性・結婚の社会史』1977=1991年、勁草書房

グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)『精神の生態学』1972=2000年、新思索社

 

脚注

[1] 生物と機械における制御と通信を統一的に認識し、研究する理論の体系。ネガティヴ・フィードバックによる恒常性維持のシステム。社会学者の勝又正直は、エアコンを例にしてサイバネティックスの概念を説明している。たとえば室温24度に設定したエアコンは、設定温度からのずれがあるとそれを打ち消すような働きをすることによって、室温を一定の状態に保つ。このような変化(ずれ)を打ち消すような働きで、しかもその結果が自分に戻ってくるような働きのことを、ネガティヴ・フィードバックという。このようにネガティヴ・フィードバックをつかって自己の安定を維持するようなシステム(まとまり)をサイバネティクス・システムという。この際、重要なのは、相互関係によって形成されるシステムは、この場合、エアコンではなくて、エアコンが置かれた部屋全体がシステムだということだ。

[2] ベイトソン『精神の生態学』422ページ。

[3] 同前423ページ。

[4] 同前424ページ。

[5] 同前425ページ。

[6] 同前446ページ。

[7] 《巡回の意》1 電気回路。回路。2 自動車・オートバイなどの競走用につくられた環状道路。3 劇場・映画館などの興行系統。

[8] 全体を構成する一つ一つの要素。

[9] 連続。連続して起こる順序。

[10] 同前431ページ。

[11] デカルト(1596-1650)は、空間的広がりを持つ思考できない延長実体(いわゆる物質)と、思考することができる空間的広がりを持たない思惟実体(いわゆる心)の二つの実体があるとし、これらが互いに独立して存在しうるものとした。この考えはデカルト二元論と呼ばれ、実体二元論の代表的理論として取り扱われている

[12] 同前432ページ。

[13] 同前441‐442ページ。

[14] 同前109‐110ページ。

[15] 皮肉。逆説。反語法。

[16] 同前442ページ。

[17] 同前442ページ。

[18] ローレンス・ストーン(Lawrence Stone、1919 -1999年)は、イギリスの歴史学者。イギリス近代史、とくに17世紀のイングランド内戦や家族史で知られる。著書として『イギリス革命の原因』『貴族の危機』『大学史』『離婚の社会史』などがある。

[19] ストーン『家族・性・結婚の社会史』581-582ページ。

[20] ストーン前掲書577-578ページ。

ヘアーインディアンと家族

 

1.     さまざまな家族が語られ始めた

共時的に家族は、多様化いていることが指摘されてきました。未婚独身、結婚しない異性との同棲、子どもをもたない夫婦、ひとり親家族、離婚独身、ステップ・ファミリー、共働き家族、伝統的核家族、単婚にこだわらない夫婦(合意による婚外の性関係)、別居家族、同性同士のカップル、友人コミュニティ、伝統的三世代同居、二世帯型同居、高齢者独居(寡婦寡夫)、一夫一婦婚、一夫多妻婚、一妻多夫婚、結婚をしない家族、ペットを含む家族などというように。

(共時的言語学者ソシュールの用語。時間の流れや歴史的な変化を考慮せず、一定時期における現象・構造について記述するさま)

現在の家族社会学の研究では、家族を定義するのはむつかしいとされています。それは「家族なるもの(The Family)」の意味するものが、通時的には異なった内容を意味するものであり、共時的には多種多様な形態をとるものであるからです。

 (通時的:言語学者ソシュールの用語。関連する複数の現象や体系を、時間の流れや歴史的な変化にそって記述するさま)

ヨーロッパにおいてThe Familyは、通時的にいうと、長い間、一人の家父長の下で生活を共にする、親子や血縁者、使用人や徒弟などの非血縁者までも含む言葉として使用されていました。17世紀から18世紀にかけて、The Familyという言葉の意味するものが、見返りを求めない情緒と私的な事柄(プライバシー)という新たに登場した意味と結びつき、親子関係からなる核家族を意味するものに変化していきます。

家族を定義するのはむつかしいのですが、家族は「現実の家庭環境がどうであれ、すべての人間は『家族的存在』であるほかはない」(斎藤環『家族の痕跡』)存在であるともいえます。

そこで今回の講義では、さまざまな家族が語られてきたことを受けて、原ひろ子著『ヘヤー・インディアンとその世界』(1989年、平凡社)を主軸にして、家族を考えてみたいと思います。

 

 

2.     ヘアー・インディアン

ヘヤー・インディアンとはカナダの北極圏に先住し、インディアン中で最北部に住む部族です。人口は300人から500人(1960年代当時)で、約9万平方キロ(日本の本州の四分の一弱)の地域に住み、少グループに分かれて分散してキャンプし、食料を求めて常にテントの移動を余儀なくされています。

主な食料は野ウサギで、そこからヘヤーhare(野ウサギ)という名称がついています。(現在はカナダ政府の同化政策によって伝統的な生活は消滅しつつあると言われています

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広大な極北圏で猟をするヘヤー・インディアンは、定住することなく一年のほとんどをテント小屋で暮らします。ところがテント小屋のメンバーは流動的で一定することはありません。そのような流動的なテント・メンバーの生活の中で重視されるのが、インセスト・タブーです。子どもが生まれると、必ず誰が父親であるのかが決定されます。そのことによって、インセスト・タブーとされる人間関係が決定されるのです。このインセスト・タブーを守ることによって、ヘヤー・インディアンのコミュニティは成立します。

ヘヤー・インディアンは徹底して個人主義的であり、男女のカップルは、あくまでも気の会うものどうしのカップルであり、育児は楽しみの一つとされ、生物学的な母親にということではなく、育てることのできる者が子どもを育てるということが基本の社会です。

現在の資本主義経済における先進諸国の家族は、欧米諸国でここ30年(1980‐2008年)ほどで婚外子割合が急増するなど、劇的な変化を遂げつつあります。

 

少子化

 

それは、結婚制度による結婚よりも、カップルでいることを重視する社会に変化しつつあることを意味するのだといえるでしょう。

このように結婚制度によらない、気の合った者どうしがカップルをつくるという社会が、「未開」と呼ばれる社会にもありました。それは文化人類学者の原ひろ子(1934‐2019)が、1961年から63年にかけてフィールド・ワークした、ヘヤー・インディアンの社会です。

3.     世帯という概念の成立しない社会

そこで彼女が発見したのは、メンバーの固定した「ある程度持続的に、寝食を共にする生活集団」としての「家族」ではなく、個人を中心としたネットワーク社会でした。ヘヤー・インディアンは丸木小屋やテントで生活しますが、そのメンバーは一定することなく、流動的であり、そこには「世帯」という概念に当てはまるものはなかったのです。

丸木小屋の持ち主は、AとかQとか特定の個人だ。そして、そこをまあまあ常時利用している核になるような人びとも、だいたい決まっているのだが、すべての丸木小屋に関して、誰がいつどこに寝ているかということは、一晩単位で変動するのだということがわかってきた。特定のテントに寝る人びとが誰と誰であるかはじつに流動的なのだ。(原ひろ子『ヘヤー・インディアンとその世界』207‐208ページ)

そこで原は、世帯という概念を捨て、テントで生活を共にする一時的な居住集団を「テント仲間」と呼ぶことにします。そして、家族に当たるものを「ミウチ」とし、性生活の相手を「ツレアイ」とし、個人のパーソナリティ要因を契機とする親族ネットワークを「シンルイ」と名づけて、ヘヤー社会の人間関係を分類しました。

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4.     個人を中心とした社会

ヘヤー・インディアンの社会は、徹底して個人主義的な社会であり、個人のパーソナリティを重視してネットワークが形成される社会でした。そのため集団を統合するような指揮系統が発達することは少なく、その代わりに流動的なネットワークが社会を維持するものとして機能することになります。

宗教的にはコミュニティを統合するような宗教はなく、各個人にその個人特有の守護霊があり、守護霊と個人の結びつきが、もっとも重視されます。各個人はそれぞれが守護霊を持っており、その守護霊が個人の行動を決定します。ですから徹底して個人のパーソナリティが重視されるのです。

ヘヤー・インディアンは、一人ひとりが自分の守護霊をもっている。それはビーヴァーやテンやクズリなどの動物で、一人につき一種の動物が守護霊となる。三歳ぐらいの子どもでも、「僕ね。昨夜の夢にテンが出てきて、今日はブッシュに入ってはいけないと言われたんだよ」などと口走る。すると、まわりの大人や年上の子どもたちが、「そうか、そのテンがお前をずっと守ってくれるんだよ」と決めつける。こうして順調にいけば、三、四歳以上の子どもたちがいつの間にか夢の啓示を得て、どの動物が自分の守護霊であるのかを知るのである。(同前341ページ)

ヘヤー・インディアンの社会では、一般論は成立しません。すべて守護霊と個人との霊的な交信によって決定されるからです。ですから「一人ひとりの子どもたちを独自の人格と特徴をもった個人」として見られることになります。

他者から教わるという概念も成立しません。自分で観察し、試行し、自分で修正することによって、「○○をおぼえる」ことになるのです。

テント仲間のメンバーが常に変化するのだから、特定の「家庭料理」とか、「この家庭のやり方、流儀」、「家風」というものも存在しない。技術や習慣なども、すべて個人個人のものなのである。(中略)そして、一人ひとりの人間が、「その人らしさ」をもった個人として充分に充実して生活しているのである。(同前244‐245ページ)

このように他者を一般論で見ることをせずに、個別性で見るという見方は、ネットワーク社会といわれる現代社会に通じるものがあるといえるでしょう。

5.     流動的な夫婦関係

ヘヤー・インディアンは「家族は同じ屋根の下で住むのが当然だ」という考え方が弱く、男女のカップル関係も流動的です。

テント仲間を構成する男女の対は、(中略)労働力のバランスのとれたパートナーで、気が合えばよいのだ。セックスもするけれど、相手に惚れ込んでいるかどうかということは、別の次元に属することなのだ。男も女も、個人差はあるが、一時に一人ないし七、八人の恋人をもっている。(中略)一般には、恋と日常生活は別のものである。(同前223ページ)

「男女の同棲は、あくまでも気の合っている間だけつづければいい」という気持ちが流れていることだ。したがって、「偕老同穴の契りを結ぶ」というような考え方はいっさい存在しない。(中略)つまり、西欧の近代的な夫婦の理念にみられる「二人の男女が愛情を深め合って長い年月を共に送る」ということは、ヘヤー・インディアンの男女の生活においては二義的なものなのである。(同前242ページ)

偕老同穴:夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。▽「偕」はともにの意。「穴」は墓の穴の意。

6.     流動的な親子関係

ヘヤー・インディアンの社会は、個人を中心としたネットワーク社会なので、生みの母が子どもを育てなければならないという概念は存在しません。

「乳児は、その子を生んだ母親が育てなければならない」という我われ近代日本人の理念における大前提が、この社会には存在しない。「子どもは、育てられる者が育てればいい」のであって、「それが実の母親なら望ましいが、何も実の母に限ることはない」という考え方である。ヘヤー社会にはじつに養子や里子が多い。聞いてみると、「生まれてすぐは、父方の祖母に育てられて、隣りのテントのシンルイではない小母さんから乳をもらい、それから母の妹の所で暮して、七つのころ、一時、母親と暮したけれど、あとは母の兄の家族と暮して、今の夫と結婚した」というような話がよくある。このような西洋や日本でなら「家なき子」として悲劇の主人公になりうるようなケースが、彼らの間では決して悲劇とは考えられていないのである。(同前242‐243ページ)

ヘヤー・インディアンの社会では、育児は「遊び」と同じくらい「楽しいこと」のカテゴリーに入り、養子や里子の引き取り手に困ることはありません。「育児上の用事は、ほとんど子どもの母親そのほかの女の手によって行なわれるが、父親や男たちも、気軽に哺乳壜にミルクを調合したり、おむつを替えたり、遊んでやったりする」ということになるのです。

7.     父親は社会的な父親

人間関係、親子関係の流動的なヘヤー社会でも必ず決定しなければならないことがあります。それは誰が子どもの父親であるかということです。

彼らは、誰と誰がいつ、どこで、一緒にキャンプしていたかということに強い関心をもっている。そして、男女の性交によって妊娠し、人間の妊娠期間が280日ぐらいだということも知っている。だから、出産日から逆算して「この子の父親は、あいつだ」ということを推定し、さらに世論としての噂話や、産婦の話から、その子の父が決まることになる。(同前256ページ)

ヘヤー・インディアンは、生物学的な父親を確認しようとする必要は感じない。これに対して、社会的な父親が決まることは、母親にとっても、またヘヤー社会全体にとっても、絶対不可欠な事柄なのである。(同前257ページ)

この引用で重要な点は、父親の確定が「世論としての噂話や、産婦の話から」なされるということです。ある程度は生物学的な父親を推定するのですが、「生物学的な父親を確認しようとする必要は感じない」というのです。それでは何のために父親の確定が必要なのかというと、インセスト・タブーの範囲を確定するためです。そのため社会的な父親が決まることは、「絶対不可欠な事柄」ということになるのです。

インセスト・タブー

インセスト・タブー (Incest Taboo)とは、人間社会において、特定のカテゴリーに該当する親族との結婚や性的関係を禁じる社会的規範のことで、あらゆる社会で普遍的にみられる。

インセストは、近親婚や近親相姦と訳される。またタブーは、禁忌と訳されるように、たんに禁止というのではなく、その社会の成員すべてが規範をおかすことに強い怖れや忌(いみ)の感情をいだき、順守することが当然とうけとめているものである。

人間以外の霊長類やその他の生物種にも、母子間や兄弟・姉妹間の性行為をさける事実があることはよく知られている。しかし、こうした動物のインセストの回避とインセスト・タブーは、現在では区別してあつかわれている。それは、人間の場合にはタブーの対象となっているインセストの概念そのものが、それぞれの社会、歴史、文化によってかなりことなり、近親にかぎらず疑似的な血縁関係もふくまれるなど、恣意的(しいてき)につくられたカテゴリーといえるからである。

母と息子、父と娘、兄弟・姉妹同士の性的関係は、ほとんどの社会で禁じられており、実際には血のつながっていない養子や義理の関係にも適用されている。しかし、オジ・メイ、オバ・オイ、イトコ同士となると、インセストとみなす範囲の偏差がはげしく、母方であるか父方であるか、交叉イトコ、平行イトコなどによっても違いがある。さらに、氏族(クラン)、半族といった社会組織による外婚規制にも、インセスト・タブーの概念が入りこんでいる。(『Microsoft エンカルタ百科事典 2000』より)

 

それでは噂話や産婦の話によって父親を決定していいのかという疑問と、もし娘が生まれた場合、生物学的な父親と性愛する可能性があるのではないのか、それはインセスト・タブーを破ることになるのではないのかという疑問が生じます。

文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)は、その著『親族の基本構造』(1949)において、インセスト・タブーの意味することを、男性たちに互酬規則を命じるものだと捉えました。

つまりインセスト・タブーの意味するところは、たんにインセストのカテゴリーに入った女性たちとの性愛や婚姻を禁じるものではなく、インセストのカテゴリーに入った女性たちをその帰属する集団とは異なる他の男性と交換せよ(贈与交換)、という命令だとしたのです。

つまり、インセスト・タブーは禁止を意味するだけではなく、贈与交換することによって親族という仲間をつくるための規則だといえます。インセスト・タブーが贈与交換の規則であるならば、父親の意味するところは生物学的なものだけではなく、社会関係を成立させるための社会的存在であるということになるのです。

贈与交換とはマルセル・モースの『贈与論』(1923-24=1943)で論じられた概念で、贈与と返礼の交換が社会を存続させる重要な役割を担っているという理論で、レヴィ=ストロースの提唱する構造主義に大きな影響を与えました。

父親という存在がなぜこのようにややこしいのかというと、父親というのは人類にしか存在しない社会的存在であるからです。霊長類研究のサル学では、父親という存在は、ヒトが誕生したと同時に生成した社会的存在であるとします。

サル社会には、父親は存在しない。父親というのは、家族という社会的単位ができる、つまり、ヒトが誕生したと同時に生成した社会的存在である。ということは、父親は家族の成立に伴って創り出されたものであり、極言すれば発明されたものなのだ。一方、母親は生物学的存在であるとともに社会的存在だ、という二面性を持っているのである。(河合雅雄『子どもと自然』178ページ)

レヴィ=ストロースによると、インセスト・タブーによって家族やコミュニティという社会単位が誕生し、同時に人間という文化的な存在も誕生することになります。父親という存在も人間が誕生すると同時に、生成されることになるのです。インセスト・タブーを破ったならば家族もコミュニティも形成されず、人間でもなくなります。そういう社会では父親は存在しないのです。

8.     ミウ

社会的父親が決定されなければならない最大の理由は、インセスト・タブーです。インセスト・タブーの守るべき範囲を設定するために、社会的父親が決定されなければならないのです。

人間関係が流動的なヘヤー社会でも、父、母、父母をともにするキョウダイ、ツレアイ(性生活の相手)とその間の子どもに対しては、ツレアイを除いて、これらの人びとと性交渉をもってはいけないというタブーがあります。このタブーのために、社会的父親が決定されなければならないのです。父親が確定されることによって、父母をともにするキョウダイが確定することになり、同父母キョウダイは、インセスト・タブーの対象となります。つまりインセスト・タブーの範囲を確定するために、社会的父親の決定が「絶対不可欠な事柄」になるのです。

原は、このようなインセスト・タブーの範囲内にある人びとを、「ミウチ」という言葉でカテゴリー化します。

ヘヤー・インディアンの「ミウチ」は、幾重にも張り巡らされたタブーによって、運命を共にする相互関係をもつことになります。しかし、「ミウチ」のカテゴリーに該当する人びとが、「我われ意識」をもつことはないとされます。一人ひとりが個人的に、もろもろのタブーに「ミウチ」として拘束されるだけなのです。

ヘヤー・インディアンの「ミウチ」は、一つのテントで寝食を共にすることによって、生活共同体を形成しているのではない。しかし、超自然的に規定されたタブーの存在によって、運命を共にする相互関係をもつのである。(中略)しかし、ヘヤー・インディアンの考え方によると、特定個人(A)の「ミウチ」のカテゴリーに該当する人びとが、「我われAのミウチに当たる者ども云々」といった、「我われ意識」をもつことはないのである。彼らの一人ひとりがそれぞれ常に、「私はAとミウチだから」ということを意識して行動しているに過ぎない。((原ひろ子『ヘヤー・インディアンとその世界』268ページ)

ヘヤー・インディアンにおける「ミウチ」は、家族の究極の形態を示すものだといえるでしょう。「ミウチ」はインセスト・タブーとそれにともなうさまざまなタブーを共有するだけであり、そこには「我われ意識」は存在しないのです。つまり、家族の究極の姿は、インセスト・タブーを協約する関係性そのものになってしまうのです。

9.     まとめに

人類は贈与交換を行なうことによって社会を形成してきました。そして女性の贈与交換を行なうことによって、親族を形成し、家族を形成してきました。この親族からコミュニティが形成されることになります。

女性の贈与交換ということの根底にあるのはインセスト・タブーです。インセスト・タブーは、精神分析における無意識のように、親族=コミュニティをつくるようにと命令する視えない構造だということができます。この視えない構造によって、家族が形成されるのだといえるでしょう。つまり、コミュニティと家族は、分離できないものとして同時に生成されたものだといえるのです。

近代家族は、家族をコミュニティから分離させることによって誕生しました。家族がコミュニティと不可分な存在であるとすると、家族にとってコミュニティとは何であるのかが、再び問われることになるでしょう。そして近代家族が個人主義的にならざるを得ないものだとすると、ヘヤー・インディアンにおける個人の守護霊に代わるものが何であるのかが、問われなければならないといえるでしょう。

 

 

【参考文献】

マルセル・モース(吉田禎吾他訳)『贈与論』(1925=2009年、ちくま学芸文庫
レヴィ=ストロース(福井和美訳)『親族の基本構造』(2000年、青弓社
河合雅雄『子どもと自然』(1990年、岩波新書
斎藤環『家族の痕跡』(2010年、ちくま文庫
原ひろ子『ヘヤー・インディアンとその世界』(1989年、平凡社

Microsoft エンカルタ百科事典 2000』